このページは、東亜天文学会発行『天界』2003年8月号に掲載された「村上茂樹著:コメットハンターは生き残れるか?(2) LINEARの脅威と真の脅威」のホームページ版です。



コメットハンターは生き残れるか?


(2) LINEARの脅威と真の脅威


村上 茂樹 S. Murakami
(新潟県十日町市)       


1.LINEARに敗れる
 「現在、北半球から見える空は、リニアによって調べ尽くされている状況です。オーストラリアは眼視彗星捜索者に残された最後の聖地なのかもしれません。」

 これは1999年の『スカイウッチャー』誌上での、吉田誠一氏の言葉である1)
LINEARが本格的に稼働を始めた1998年夏以降、2000年末までに限れば、眼視発見された彗星は5個。それらのすべてが、LINEARの手が及んでいない南半球のコメットハンターの名前を冠しているのだ!すなわち、C/1998 P1 Williams、C/1999 A1 Tilbrook、 C/1999 H1 Lee、C/1999 N2 Lynnの4個はオーストラリアでの発見で、残りの1個はC/2000 W1 Utsunomiya-Jones(Jones氏はニュージーランド人)である。宇都宮氏の健闘は絶賛されるべきだが、この時点では吉田氏の言葉は当たっていたのである。
 この事実に関して、私は次のように考えた。後に述べるように、LINEARの捜索範囲外となっている領域は結構広い。それにも関わらず、LINEARの稼働以降、特に北半球での眼視発見はほとんどない。これは彗星が増光して眼視発見の可能な明るさに達する前に、大抵一度はLINEARの捜索範囲に入り、LINEARが発見してしまうからだろう。北半球での発見は不可能ではないとしても、LINEARが活動する前と比べると、その確率は数分の一に低下してしまったに違いない。
 2001年3月まで住んでいた茨城県つくば市とその周辺では、人口の増加と開発が著しく、光害も毎年目立ってひどくなっていた。当時、仕事量は急激に増しつつあったし、観測地まで40~50分運転して出かけても空は悪い。西空は論外で捜索は明け方の東空に限られていた。しかし、東空の条件も悪化の一途をたどり、仕方なく太陽から遠い衝の方向を捜索したりもした。LINEARの出現に加えてこの状態では、ますますやる気をなくす。
 1999年12月のある夜、観測地に行くと、仁科淳良氏2)が大口径ドブソニアンを持って来て星雲・星団の観望を楽しんでおられた。覗かせてもらうと、当時使っていた20cmと比べて圧倒的な集光力の差があり、星雲の構造がよく見える。銀河の渦巻きや暗黒帯の凹凸、中心部まで星に分離する球状星団。大口径は面白い。仁科氏と何度かお会いして話をしているうちに、教科書3)どおりにやれば簡単に作れますよ、などと薦められて、ついその気になってしまう。もう捜索なんてやめて、自分も大口径を使って観望に徹しようと思う。
 思い起こせば、長年星から遠ざかっていたのだが、百武彗星(C/1996 B2)を見て感動。半年後、少年時代以来の彗星捜索を再開。それから4年も経たないというのに、もう捜索をやめようとしている自分がいた。細く長く続けるつもりだったのに。
 新潟県に転勤して間もなくの2001年7月、自作の18インチ(46cm)ドブソニアンが完成。私はドブソニアン完成の直前まで続けていた彗星捜索を本当にやめてしまい、星雲・星団の観望へと転向した。LINEARの脅威の前に敗北したのだった。
 では、なぜまた捜索を再開したのか?それは後で述べることにし、次項からは自分自身を含め、多くのコメットハンターを「廃業」に追い込んだであろうLINEARによる捜索と、アマチュアによる眼視捜索との関係について考察する。

2. LINEARによる発見とアマチュアによる発見
 図1(a)に1998年にLINEARの捜索が始まってから2002年末までの間に、LINEARによって発見された彗星の数と太陽からの離角との関係を示した。総数は99個である。ほとんどの彗星は離角が80°より大きい位置で発見されている。80°以下のものは明け方2個、夕方1個で、これらの内訳は離角75°のものが2個、79°のものが1個である。すなわち、太陽からの離角が約80°以下の領域はほぼLINEARの捜索範囲外と考えてよい。
 図1(b)に1980年から2002年末までの間に、アマチュアによって眼視発見された彗星の数と太陽からの離角との関係を示した。総数は67個で、このうち1998年にLINEARの捜索が開始されて以降に発見された彗星は11個である。なお、1998年の眼視発見のうち、LINEARの活動が本格化する前の5月に発見されたC/1998 H1 Stonehouseはこの11個に含まれていない。
 LINEARの本格的な稼働後に離角が80°以上で眼視発見された彗星は明け方に3個、夕方に1個の計4個である。これら4個のうち3個は南天における発見で、彗星名は、C/1998 P1 Williams(発見国:オーストラリア)、C/1999 H1 Lee(オーストラリア)、C/2000 W1 Utsunomiya-Jones(日本・ニュージーランド)である。南天というと、日本から見えない位置をイメージしがちだが、後述のように赤緯-30°以南はLINEARの捜索範囲外である。C/2000 W1 Utsunomiya-Jonesは離角が83°ではあったが、赤緯-41°のLINEARの捜索範囲外で発見された。LINEARの稼働後に離角が80°以上で眼視発見された4個のうち、残る1個はC/2002 O4 Honigで、これは通常のLINEAR捜索網の中での発見であった。

図1 彗星発見数と太陽からの離角

(a)LINEARによる発見数(1998-2002)
  (b)アマチュアの眼視発見数(1980-2002)
Meyer4)のデ-タに基づく

 後述のように、1ヶ月間のLINEARの捜索範囲を調べると、太陽からの離角が80~90°以上でもかなりの領域が未捜索のことがある。これは悪天などのためと思われる。また、一晩でLINEARが捜索できる範囲は限られているので、彗星の移動方向、移動の速さ、増光のパターンに依ってはLINEARの網をくぐり抜けることもあり得る。C/2002 O4 Honigは文字通り網の目をくぐっての発見であったといえる。
 図1(a)と図1(b)とを比較すると、LINEARによる捜索が開始される以前から、アマチュアの眼視発見のほとんどが、現在LINEARの捜索範囲外である離角80°以下の領域でなされている。このことから、捜索範囲だけに限っていえば、LINEARとアマチュアの眼視捜索とはうまく棲み分けをしており、競合が少ないことになる。
 ところで、LINEARによる発見数(図1(a))とアマチュアによる眼視発見数(図1(b))は、両者ともに明け方のほうが夕方よりも約2倍多くなっている。眼視発見の場合、明け方のほうが夕方より空気が澄んでいる、光害が少ない、睡眠後の捜索のために体調がよいといった説を本で読んだことはあるが、定性的で説得力に欠ける。LINEARの望遠鏡は気象条件が良く、光害の少ない場所に設置されており、機械であるために睡眠時間など無関係である。従って、実際に明け方に出現する新彗星の数が夕方よりも多いと考えるのが妥当であろう。筆者はこの事実についての明快な説明を聞いた記憶がない。
 何人かの人が指摘しているように、定性的には次のように考えることができる。ある時期の夕方の西空に見えている領域(星座)は、それ以前の数ヶ月間は太陽の光芒に妨げられずに見え続けていたのに対し、明け方の東空の領域(星座)は、それ以前の約2ヶ月間は太陽の光芒に隠されて観測不可能である。したがって、明け方の東空では次々と隠されていた領域が出現するために発見が集中するのである。 しかし、この考え方の真偽は明らかではない。数学の得意な方に統計・確立論に基づいた定量的な解析(シミュレーション)をお願いしたいものである。
 なお、LINEARは拡散状天体に弱く、LINEARが発見できなかった拡散した彗星をアマチュアが発見している、といううわさを聞いたことがある。筆者には拡散状天体に弱いことの理由が判らなかったので、中村彰正氏に質問した。氏によると、「同一の明るさの恒星と彗星を考えた場合、1点に光が集中している恒星の方が、面積を持っている彗星よりも検出しやすいですが、それは写真や眼視でも同様です。LINEARは大きく拡散した明るい彗星を見つけられない、というまことしやかなうわさは、まったくナンセンスだと思います。」とのことであった。

3. 関勉氏の解析
 LINEARの下での眼視発見が可能かどうかについては、これまでにも東亜天文学会彗星課長の関勉氏が解析を試みておられる。まず、過去に氏が発見された6彗星について、太陽からの離角が90°程度以上のもので、かつ18等より明るいものはLINEARが発見できると仮定して解析された5)。その結果、確実にLINEARが発見できたものは1個、どちらともいえないものが1個、LINEARが発見できなかったものが4個であった。
 次は、C/1999 A1 Tilbrook(1999年1月12日UT発見)とC/1999 N2 Lynn(1999年7月13日UT発見)についての解析である6)。C/1999 A1は1998年12月5日には赤緯+78°にあり、12等で、離角も101°あったのにLINEARは発見できなかったと指摘されている。これは北半球のハンターにも発見の可能性が十分あったことになる。C/1999 N2は1998年10月に赤緯-36°、離角120°、16等となったがLINEARは見つけておらず、以降は離角が小さくなったとのことである。前述のように赤緯-30°以南がLINEARの捜索範囲外であるため見つからなかったのであろう。
 さらに関氏はC/2000 W1 Utsunomiya-Jones(11月19日UT発見)7)とP/2001 Q2 Petriew(8月18日UT発見)8)についても解析しておられる。すなわち、
C/2000 W1は11月2日に離角89°、赤緯-9°、11等であったがLINEARは発見していない。P/2001 Q2は発見まで離角の小さい状態が続き、LINEARの捜索範囲外であった。
以上の関氏の解析では、発見以前に遡って検討してもLINEARが発見不能であった彗星や、逆に発見可能なはずなのに発見されなかった彗星がかなり多いことが示されている。

図2 2001年第6暗夜期間(6月)のLINEARの捜索範囲9)
Reprinted with permission of MIT Lincon Laboratory, Lexington, Massachusetts.
MITリンカーン研究所より許可を得て転載

4.LINEARの捜索範囲
 冒頭の吉田氏の言葉、「北半球から見える空は、リニアによって調べ尽くされている」は、どれほど妥当なのだろうか?コメットハンターのうち、どれほどの人がLINEARの捜索範囲を知っているのだろうか?これまでに述べたように、太陽からの離角が80~90°以下はLINEARの捜索範囲外である。ここではLINEARの捜索範囲について、より具体的に解説してみる。
 LINEARのホームページ9)によると、月のない暗夜に捜索が行われており、一夜に同一写野を数回撮影して移動する小惑星(彗星)を検出している、とある。2001年第6暗夜期間(6月)と第12暗夜期間(12月)における一ヶ月間の捜索範囲の例を図2、図3にそれぞれ示す。

図3 2001年第12暗夜期間(12月)のLINEARの捜索範囲9)
Reprinted with permission of MIT Lincon Laboratory, Lexington, Massachusetts.
MITリンカーン研究所より許可を得て転載
両者とも図の中心が春分点で、赤道座標で示されている。色つきの領域が捜索範囲で、この中に黄道が黒線で示されている。明るい色の場所ほど極限等級が暗い捜索プロットであることを表している。黒色の領域は、捜索範囲外で、赤緯-30°以南は捜索範囲外であることがわかる。天の川は捜索範囲外であるという話を複数の人から聞いたことがあるが、図2、図3のとおり実際には天の川(星図と図2、図3を比較して位置を確認されよ)も捜索範囲である。また、天の川の中では発見されにくいと言ううわさも聞いたことがある。
何人かの人から、C/2002 E2 Snyder-Murakamiは天の川の中で発見されたが、LINEARが天の川に弱いということを意識しての発見だったのか、と聞かれたことがある。私は、そんなことはまったく意識になかった。ただ、どこでも良いから捜索するとなると、天の川を好む傾向があるのは確かである。なぜなら、見える星の数が多くて楽しいからである。


図4 2001年6月の薄明終了時と薄明開始時における
LINEARの捜索範囲の境界線 (図2に基づく)

図5 2001年12月の薄明終了時と薄明開始時における
LINEARの捜索範囲の境界線(図3に基づく)
 話を元に戻すが、筆者は天の川の中で発見されにくい、という点に関しては情報を得ていないので、中村彰正氏に質問したところ、以下のような回答をいただいた。
 「LINEARの移動天体検出アルゴリズムは、ほかのサーベイと異なります。ふつうは複数のフレームから『移動している星』をピックアップしますが、LINEARの場合、同じ場所を撮影した5枚のフレームを加算し、『一列に並んだ5個の星』を移動天体として検出します。このため恒星と重なっても見逃すことが少なく、他のサーベイが敬遠する夏の天の川の中も、平気で捜索をしています。」
 なお、LONEOS、NEATは天の川を避けて捜索を行っている。LINEARも含め、これらのサーベイによる最新の一ヶ月間の捜索範囲(一ヶ月を過ぎると古いデ-タは消去される)はMPC(Minor Planet Center)のThe NEO Pageで公開されている10)。それによるとLINEARは衝の位置からほぼ東西に対称に捜索範囲を広げている。約一ヶ月の捜索例では、まず、赤緯線に平行に赤緯+80°~-30°の範囲を、一夜当たり幅約10°~15°(最北の区域では幅約25°)で捜索している。これを終えると、今度は黄道に平行に最大±30°の幅で捜索し、これも終えると再び赤緯線に平行に捜索している。満月を挟んだ5日間程度は捜索が行われていない。
 図4は2001年の第6暗夜期間(6月)における一ヶ月間のLINEARの捜索範囲を、新月の日(6月21日、日本時間)を仮定して北緯36°の天球上に示したものである。同心円の中心が天頂、いちばん外側の円が地平線を表す。破線よりも西側(右側)が薄明終了時におけるLINEARの捜索範囲外の領域で、同様に実線よりも東側(左側)が薄明開始時の捜索範囲外の領域である。すなわち、薄明終了時は子午線から西半分のうち高度約40~60°(一部、天頂付近)よりも低空、薄明開始時は子午線から東半分のうち高度約30~65°よりも低空がそれぞれLINEARの捜索範囲外である。この図に示したのは、約一ヶ月の間に捜索が行われたすべての領域を合成した境界線であり、ある特定の日の捜索範囲は当然これよりも狭いことに留意していただきたい。
 なお、LINEARの捜索範囲は赤経、赤緯線に沿って設定されることが多い。この場合、図4の天球上の捜索範囲は曲線となるが、ここでは捜索範囲の境界線上(図2)の代表点を選んで、折れ線で捜索範囲を示してある。本稿の目的のためにはこれで十分であろう。
 図5は図3に基づき、2001年第12暗夜期間(12月)における一ヶ月間のLINEARの捜索範囲を、図4と同様に示したものである。新月の日を仮定すると、明け方の捜索範囲が低空に及びすぎ、夕方は高すぎる結果となった。実際にどの領域の捜索がいつ行われたかの情報は入手できなかったので、破線と点線とが対称に近くなるように、新月から時間を遅らせて上弦の月の日(12月23日、日本時間)を仮定した。薄明終了時は子午線から西半分のうち高度約40~80°よりも低空、薄明開始時は子午線から東半分のうち高度約30~60°よりも低空がそれぞれLINEARの捜索範囲外である。
 図4の夏至の頃においても、図5の冬至の頃においても、薄明開始時、薄明終了時におけるLINEARの捜索範囲の高度分布に特に大きな違いはない。他の季節についても同様で、年間を通してほとんど違いがない。多くの彗星捜索者は一回の捜索に1~2時間を費やし、明け方の東空、または夕方の西空で40°~50°以下の高度を捜索しているものと思う。この高度範囲においては、LINEARの捜索範囲との重なりは少ないことが分かる。さらに、2001年6月の例では、図2の LINEARの捜索範囲内において、黒色で示される未捜索領域がかなり存在している。先に述べたC/2002 O4 Honigは、このような領域をすり抜けたか、またはこのような領域が無くてもタイミング良くLINEARの捜索範囲と重ならない場所を移動したのであろう。なお、同彗星が発見された夏季は、LINEARの望遠鏡が設置されている米国ニューメキシコ州が雨季に当たり、稼働率が低下していたのかもしれない。
5. 新たなる脅威
 現在、最も成果を上げている自動捜索システムはLINEARであるが、今後さらに優秀な自動捜索システムの出現が予想される。その一つとして、ハワイにおいて、2006年に新システムが稼働することがすでに発表されている11)。それはPan-STARRS (Panoramic Survey System and Rapid Response Telescope)と呼ばれ、口径1.8mの望遠鏡4台を組み合わせたシステムである(図6)。それぞれの望遠鏡に10億ピクセルのCCDが 装備され、それぞれが3°(7平方度)の写野を持ち、30~60秒の露出時間で極限等級24等が期待される。一晩に3,000平方度を捜天し、10,000平方度を2週間で3回カバーする。ハワイは緯度が低いために、全天の70%(28,000平方度)をカバーすることができる。
 この情報を得たとき、これでついにコメットハンターの息の根が止められるのではないか、あと3年の寿命か、と感じた。実際には稼働してみないと何ともいえないのであるが、ホームページからダウンロードした論文の中に、以下のような記述がある。
図6 Pan-STARRSの完成予想図11)
 「もし仮に、天頂距離45°以内に限定するとハワイから見える空は約30,000平方度となる。ある任意の夜に対象となる空、具体的には例えば衝から4時間以内、は約10,000平方度で、そのうちの約30%を一夜で観測できる。」12)
 全天は約41,300平方度であり、ある任意の時刻には、地球上ではどこでもその半分が見えている。従って、上記の約10,000平方度の観測範囲を想定すると、低空のかなりの部分が未捜索のまま残されることになる。この点に関しては、LINEARと比較してそれほど恐れることはない。
 一方、恒星状天体の極限等級が24等なので、LINEARよりもさらに4~5等暗い。従って、彗星状天体は22等程度よりも明るければ発見されるであろう。これはかなり痛手となりそうである。しかし、関氏の解析例では、LINEARの捜索範囲に入らなかった彗星がかなりあり、C/2002 O4 Honigなどのように通常のLINEARの捜索範囲にありながら、すり抜けた彗星も幾つか存在するのである。従って、Pan-STARRS とLINEARが同様の捜索パターンを取るように仮定すると、Pan-STARRSの捜索範囲に入らない彗星やPan-STARRSの捜索範囲をすり抜ける彗星はかなり存在することになる。ゆえに、Pan-STARRSの出現によって眼視発見がゼロになることは決してないと信じている。

6. 大きな脅威
 コメットハンターにとって、大きな脅威となるものがある。それは他のコメットハンターたちである。2002年に眼視発見された5彗星のうち、3彗星は複数のハンターによって発見されている。また、私自身、2002年12月に2回に渡って他のハンターの発見を脅かしていたのだった。
すなわち、12月15日の明け方に捜索中、C/2002 X5 Kudo-Fujikawa(日本時間12月14日工藤氏が発見、15日藤川氏が発見)に水平角で約10°にまで迫っていた。実視野1.3°の望遠鏡による垂直捜索を行っているので、さらにあと30分ほどその方向の捜索を続けていたら発見できたのであるが、薄明開始まで十分な時間がありながら、運悪く雲に覆われてしまった。
 さらに、アマチュアのCCDによって12月28日UTに発見されたC/2002 Y1 Juels-Holvorcemについて調査したところ、発見前後に捜索範囲に入っていたか、もしくは、かなり近い場所を捜索しており、発見の可能性があったことが判った。一見してそれと判る散開星団を除いて、捜索中に捕らえた星雲・星団は日誌に記録してあるので、それに基づいて捜索域を解析した結果を以下に示す。

・ 12月15日
 透明度4/5、C/2002 Y1まで水平角約10°のところから遠ざかる方向に捜索。ちぎれ雲が来たので、C/2002 X5 Kudo-Fujikawaに近い方向に向ける。
・ 12月18日
 透明度1/5→2/5、水平角約5°以内に接近していたか、または捜索範囲に入っていた。
・ 12月31日
 透明度2/5→3/5、確実に捜索範囲に入っていた。(帰省先の滋賀県にて)

 透明度は5/5が最良、1/5が最悪である。C/2002 Y1はCCD光度15等で発見されたが、眼視光度は12等後半から13等と思われる。実際には2003年1月13日(透明度5/5)に初めてC/2002 Y1を見た。直感では11.5等で、かなり拡散していたものの、もう少し暗くても透明度が4/5以上ならば発見は可能だと感じた。12月18日は捜索範囲に入っていたとしても、透明度が悪かったので発見できなかったものと思う。31日(発見は公表されていた)にも捕らえられなかったのは、やはり透明度が悪かったためであろう。
 なお、C/2002 X5とC/2002 Y1の発見時の太陽からの離角はそれぞれ、72°、84°で、かろうじてLINEARの捜索範囲外だったと思われる。チャンスはまだまだ続いているのである。
私はこれまで、このように発見まであと一歩という「惜しかった」体験は一度もなかったのであるが、アマチュア同士の競争は常に世界レベルで繰り広げられていることを実感した。

7. 真の脅威
 コメットハンターにとって、さらに大きな脅威となるものがある。それは夢を捨てて捜索をやめてしまう自分自身であり、これこそが最大の脅威である。
 LINEARに敗北する前の2000年始め頃、LINEARの捜索範囲が気になって、調べた記憶がある。その結果、図2~図5のようにLINEARの捜索範囲外の領域は以外と広いことを知ったのだった。それにも関わらず、前述のように捜索をやめてしまったのだ。冒頭で述べたように、1998年夏以降、2000年末までの発見実績を見るにつけ、北半球での眼視発見は絶対に不可能ではないとしても、「最後の聖地、オーストラリア」などの南半球においてしか、ほとんど実現し得ないと信じ込んでしまった。
 実は、2001年7月に彗星捜索をやめてから再開までの間に、一度だけ捜索を行った記録がある。それは20cm反射でP/2001 Q2 Petriew発見直後の8月24日(透明度3/5)に同彗星を見に行ったときだった。11等として発見されたP/2001 Q2は、高度約30°において20cm31倍ではまず発見は無理、42倍でも難しいと感じた。40°まで昇っても、何とか見つかるか?といった印象で、視野の中央に入っても発見の確率は50%程度であると思った。ここで強調したいのは、光害が少ないとされる新潟県の過疎地においてすら、20cmで11等の彗星が発見困難であるという事実である。光害はここまで及んできていて、明るい彗星でない限り発見は無理だという印象を深めてしまった。
 P/2001 Q2 Petriewを見て、あきらめの気持ちを確認した後、再び18インチ(46cm)での星雲・星団の観望を楽しんでいた。やがて冬になり、新潟県では星の見える日がほとんどなくなった。雪が降り続く日々、ふと我に返ると、自分のやっている星雲・星団の観望が充実感に欠けているように思い、少しばかりの虚しささえも感じたのだった。
豪雪の中、いろいろな想いが頭を巡る。
 大口径なら光害に打ち勝つことができ、より暗い彗星まで見つかるのではないか?しかし、ドブソニアンの長い筒に振り回されて疲れ果てるだけではないのか?
 それより、超新星の眼視捜索のほうが確率は高いのではないか?
 馬鹿者、なぜ超新星なのだ。それは都会でもCCDで捜せるではないか。ここは一応、低光害地なのだ。ここでしかできないことをやれ。とにかく、星雲・星団の観望は本当にやりたいこととは違うのだから、本当にやりたいことをやるべきだ。

 それは何か・・・彗星捜索。

 見つかるかどうかは重大な問題ではない。考えてもどうにもならない。捜索という行為そのものが、充実感と楽しみを与えてくれる。捜索中に視野いっぱいに流れていく幾千幾万もの星々に思わず感嘆の声をあげ、微笑みを浮かべる。何も考えずに、遠い宇宙の美しい星々に浸る幸福な時間を持てることに感謝すべきである。
 発見の可能性はゼロではない。2001年だけを取ってみても、46cmならP/2001 Q2 Petriew はもちろん、CCDによって13.8等(眼視光度12.0等)で発見されたC/2001 W2 BATTERSさえ発見できる可能性があったのだ。こんなに暗い彗星まで対象となるではないか!
 こんな方法でやっている人は少ないはずだ。きっと成功する。
 今度晴れたら早速始めるのだ。46cmで。
 こう決意したのは偶然にも自分の誕生日で、しかもその日の夕空に153P/Ikeya-Zhangが発見されていた。その後、46cmでの捜索を始めてわずか3回目でC/2002 E2 Snyder-Murakamiを発見することができた。何度思い出しても、話が出来すぎていて不思議に思う。
 話を元に戻すと、要するに、捜索という行為こそが、少年時代から憧れ続けた夢を追求できる真の楽しみであり、それそのものの中に価値を見いだすことができることに気づいたのだ。これが捜索を再開した理由である。「強靱な精神力」とか「血のにじむ努力」などというつもりはないし、そのような表現は的はずれでさえある。自分が本当に好きなこととは何かを、もう一度考え直し、追求した結果が捜索の再開だったのである。
 これは、「どうしても発見したいと思うのならおやめなさい。発見できないかもしれないから。発見できなくてもよいのならおやりなさい。発見できるかもしれないから。」という本田実氏の言葉や、「無欲てんたん、明鏡止水の心にのみ星は映る。」という関勉氏の言葉に近い心境なのではないかと思う。しかし、自分はこれらの大御所の境地にまで達したというより、ただ単に自分の気持ちに純粋に忠実であっただけ、というのが正直なところである。
決意を新たにした後、発見できたのは幸運以外の何者でもないとしても、捜索しなければ見つからないのだ。夢をあきらめて、捜索をやめてしまうこと、それこそがコメットハンターにとっての真の脅威なのである。

8. おわりに
 私がこの記事を書いたのは、一人でも多くに人に夢をあきらめないで、捜索を続けてほしいと望むからである。これはライバルの増加につながるが、多くの人と夢を分かち合うことが出来れば、こんなに素晴らしいことはない。実際に自分は発見を通じて多くの人と知り合い、語り合い、それがこの記事の題材を得ることにもつながっているのである。
 宇都宮氏とのメールのやり取りから始まり、SWANは怖くないこと、LINEARとアマチュアは捜索範囲の棲み分けが出来ていること、Pan-STARRSの稼働後も望みがあることなど、夢をあきらめるには早すぎることをご理解いただけたものと思う。
 ここで取り上げた以外の困難、すなわち仕事、家庭、居住地など、いろいろな事情で捜索が出来ない状況が起こり得る。私も転勤がある職場なので、いつそのような状況に陥るか分からない。しかし、近年はCCDなどの技術の進歩がめざましく、都会でも見事な彗星の写真が撮れるようになっている。技術の発展によって、都会に居ても夢を持ち続ければ、いつか発見のチャンスは巡ってくるかもしれないのである。
 コメットハンターがまだ当分の間、生き延びることは確実であり、ハンターたちが新彗星を発見できる可能性は十分に残されているのである。

(おわり)


謝辞
 2回シリーズのこの記事を書くことを薦めていただいた江崎裕介氏、LINEARについての情報を提供いただいた中村彰正氏に感謝します。

引用文献
1)吉田誠一 1999:9月の彗星トピックス、月刊スカイウォチャー 10月号、pp. 91、立風書房
2)仁科淳良 2000:私の愛機、月刊天文ガイド 11月号、pp. 188、誠文堂新光社
3)Kriege, D., and Berry, R. 1998: The Dobsonian Telescope, 475 pp., Willmann-Bell, Richmond, VA, USA.
4)http://www.comethunter.de/index.html Maik Meyerのホームページ
5)関勉 2000:彗星課月報、天界81,(901)、6月、pp. 423-425
6)関勉 2000:彗星課月報、天界81,(905)、10月、pp. 701-703 
7)関勉 2001:彗星課月報、天界82,(909)、2月、pp. 116-118
8)関勉 2001:彗星課月報、天界82,(917)、10月、pp. 688-689
9) http://www.ll.mit.edu/LINEAR/ LINEARホームページ
10)http://scully.harvard.edu/~cgi/SkyCoverage.html MPC, The NEO PageのSky coverage
11)http://www.ifa.hawaii.edu/pan-starrs/ Pan-STARRSホームページ
12)http://www.ifa.hawaii.edu/pan-starrs/documents/spie02_nk.pdf 


村上茂樹のホームページ (http://homepage3.nifty.com/cometsm/index-j.html)



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