基礎医学


 三年生と四年生は基礎医学と呼ばれるものを学ぶ。解剖学、生理学、生化学、法医学、細菌学等々。講義時間の最も多いのが解剖学。次が生理学だったか。いずれも重要な科目である。解剖学が人体の形態を学ぶものならば生理学は人間がどうやって生きているかを調べる学問である。さて解剖学は骨学(コツガクと読む)、筋学(キンガク)、神経学などに分かれ、例えば骨はどんな小さいものにもいちいち名前が付いていてその名前をラテン語、日本語で覚えねばならない。骨には必ず筋肉がついていてこれまた同様に名前と動き方を覚えねばならない。実に味気ないが避けては通れない。

 解剖実習はおよそ半年間かけて行われ、いよいよ医学生らしい勉強になってきたぞと感動する一瞬である。当時遺体は系統解剖用に処理されたのちホルマリンの池に漬けられてた。現在ではアメリカ映画などに出てくる引き出し式のステンレス台にホルマリンではない、非刺激性の薬品漬けになって収められている。ホルマリンガスで喘息を起こすやつがいて、かといって解剖実習をやらないわけにはいかないのでその男、毒ガス処理班の着けるマスクを着用していたことを思い出す。引き出された遺体は解剖台に寝かされ、実習が終わるまでそのままになる。乾燥を防ぐため、一日の実習が終わったらホルマリンをかけてビニールで覆う。

 解剖実習というと「人間の死体をバラバラにしてしまう恐ろしげな行為」と受取られがちで事実そうなのだが、めったやたらに切り刻むわけではない。系統解剖という別名どおりまず皮膚を切り、剥ぎ、神経の走行を確認し、筋肉を調べ、各種臓器、骨などを教科書とつき合わせつつ順序正しく見ていくのだ。

 異様に頸が長く、ロープの跡がついた遺体があったりする。献体を申し出た死刑囚である。頸椎が折れ、頸動脈はちぎれ、まるで刃のこぼれたギロチンにかかったような損壊具合であった。絞首刑の結果は斬首刑のそれとさほど変わりません。皮が残っているか否かだけです。

 系統解剖に使われる遺体は殆どすべてが故人の遺志によるものでこれを献体と呼ぶ。行路病者などは案外少ない。尊い行為だが出来の悪い医学生にあたった遺体は気の毒としかいいようがない。私も死んだら献体するか?悩むところはこの一点。何処の大学だか忘れたが男子の外性器を根本から切り取り、女性の遺体の外性器にねじ込んだやつがいたそうな。悪ふざけというより犯罪に近い。当然こいつは退学処分を受けた。教授会で、とある臨床系の教授が「なにも退学にしなくても。将来ある学生なのに」などと弁護したらしいが当世増えつつある倫理意識希薄な臨床医らしい発想である。この教授も一緒に追い出さねばならない。

 分離された脂肪なり筋肉組織はもちろん遺体の一部であり、ゴミではない。遺体から分離され観察を終えたものはすべて大きなプラスチック容器に移す。半年後、実習が終わればバラバラになった遺体片はすべて立方体に近い小さな棺に収められ、火葬の後遺骨が遺族の元へ返される。引き取り手のない遺体は無縁仏として共同墓地へ埋葬される。

 さて、解剖学の中に組織学というのが含まれていていわば顕微鏡的解剖学である。あらかじめ用意された人体各部のプレパラートを双眼顕微鏡で覗き、スケッチを行う。

 あるとき早く帰りたい事情があっていい加減に腎臓の近位尿細管と遠位尿細管を並べて描いたら教室の先生から質問を受けた。「それはなんや」「近位尿細管です」「ならそっちはなんや」「遠位尿細管です」「ふーん、、、、」薄笑いを浮かべて去っていくニヒルな助手に不気味なものを感じ、成書を見ればなんのことはない、近位尿細管と遠位尿細管が隣り合っているはずがないのである。

 組織学実習はいつも夕方に終わるのだが、興に乗って暗くなるまでやっていたことがある。古い学舎、教室を出て薄暗い廊下を歩いていくと気づいたこともない部屋に明かりが点いていて扉も開いている。覗き込んだら素っ裸の人が寝ている。はてこんなところにオペ室が??患者が寝ているのは快適なマット上ではなく、石だった。麻酔器もなければ点滴もない。そこは法医解剖室だったのだ。やがて手術衣に身を固めた法医学の先生が数名階段を下りてきて「お、学生か。見学するか?」といわれたが心の準備ができてなかったためその日は辞退した。薬剤処理されて棒きれのようにしか見えない系統解剖の遺体と死んだばかりの遺体とでは生々しさが違うのだ。

 基礎医学の中でいかにも系統だった論理的学問が生理学である。ホルモンのフィードバックであるとか、いちいち理屈があるので思考力があれば解剖学みたいに丸覚えしなくてもすむ。非常に興味深かった印象がある。


Back