No.071 <大峰>大普賢岳・地獄谷源頭


1994.10.23.Sun.快晴

0455 西宮の自宅発(0km) 阪神高速、西名阪道路経由。

0535 福住 I.C.(75km) ここから一般道路。
0645 和佐又ヒュッテ(142km)

0700 身繕いをして出発。真中に高く聳える大普賢岳、左に寄り添うような卵形の小普賢岳。右には鯨の背中のような日本岳がよく見える。紅葉もチラホラ。地獄谷方面からときおりガスが吹き上げている。天気は快晴。

和佐又山のコルを経て日本岳南壁の巻道が続く。左手を見ると特徴的な形の行者還岳から弥山、八経ケ岳、さらには仏生岳、釈迦ケ岳まで見えている!ここから見えるとは今まで気づかなかった。指弾の窟を通り過ぎると最初の鉄梯子が現れる。しばらくアップダウンの少ない絶壁下を行くと道はやがて傾斜を増し、日本岳と小普賢岳のコルに出る。右が日本岳。道はないが帰りに登ってみようか?左へ進路を取る。鉄梯子がいくつも現れどんどん高度を稼ぐ。

0800 石の鼻(1560m) 和佐又は今回で 6 回目だが、こんなにいい天気に恵まれたのは初めてである。透明度はいつぞや富士山が見えたとき程ではないが。南の方向には先月の中旬に歩いた弥山から釈迦ケ岳方面がよく見える。東側には同じくらいの標高の日本岳頂上が相対している。西側には小普賢岳が聳える。

【石の鼻より小普賢岳を望む】

0810 発 険しい地形にいくつもの鉄梯子や木道が付けられたルートを行く。細い尾根は両側がスッパリ着れ落ちている。もし梯子等がなかったらこの山に登れる人はどれくらいいるだろうか?
小普賢岳は北側の巻道を通過する。肩から頂上へは 5 分ほどで到達できる。先月登ったので今日はパス。頂上への分岐からコルへ一旦下り大普賢岳へ向かって再び登り返す。急斜面の連続である。

0825 故わかたさんの滑落現場(1650m)。線香をあげひと休み。

ハーネスを身につけ、シュリンゲをたすき掛けにして 9 ミリ 40 メートルザイルを東側の地獄谷へ向かって放り投げる。45 度位の斜面を懸垂下降する。途中でブルーとオレンジのツートンカラーオーバーミトン、タウンシューズ片方、サブザックを見つけた。いろんな物が落ちているものだ。斜面はまだ続く。

2 回目以降の懸垂下降は斜面の角度が 60 - 70 度程度と突然急になった。既に上の登山道からは見えないところに来ている。太い樹木が多い。滑落中に体のあちこちをぶつけているはずである。

一回 20 メートルの下降を都合 3 回で割合平坦な場所へ出た。(1580m)
0942 高度計の示す標高差 70m が正しいとすれば地面上の距離は 60m であるはずがない。
ここからは普段見ることのできない角度で小普賢岳と日本岳が眺められる。

真っ直ぐ行くと 15 メートル程で崖の上に出た。高さは 20 メートル以上ありそうでしかも垂直に近い。ザイルの支点がなく懸垂下降不能。
振り返れば左上には最初に平熊さんが降り、のち救助隊の下り口として使われた小さなコルが見える。そのコルと私が今降りてきた急斜面の間に約 10 メートルほどの高さの崖が見える。翌 11 月、滑落死亡事故が起こることになる箇所。何の変哲もないトラバースからちょっと転んで 20 - 30 度の斜面を 10 メートルも行けばその先は絶壁になっているのがこのあたりの危ないところなのだ。
7 月には場所は分からないがやはりこのルートで 1 名亡くなっている。 1994 年の大普賢岳は「魔の山」であった。

右岸に回り、斜度 70 度程度の崖を懸垂下降する。ザイルが数メートル足りない。ザイルを回収してから最後の 1.5 メートルほどを飛び降りる。拍子にメガネが飛んだ。大慌てで探し出す。

故わかたさんが落ちた最後の崖は非常に高く絶壁になっていて下はガレ場。下るにつれ沢は右岸方向へ緩やかに曲がり、湧き水が出ていて流れ始めている。故わかたさんは左岸の曲がり角付近に一度ぶつかったはずである。その後沢に沿って流されていったのだろうか。

1023 標高 1510m 地点以下は沢になっていてもう下れない。流れは 20 - 30 度程の傾斜で滑である。ところどころ数十センチの段になっている。もしここに遺留品が置いてあったとしたら、あれから半年、既に下流まで流されているだろう。
左岸をよじ登り、目印に赤い布を木の枝に巻いてここで線香をあげる。

【左岸から源頭を見る】

水を飲みおにぎりを食べる。上の方から登山道を行く人の声が聞こえてくる。「もう帰るよ」と独り言してから登りはじめる。

1100 先ほどのガレを登り先ほど最後の部分飛び降りた崖を登ろうと見るとちょっと難しそうである。そう!小普賢岳と大普賢岳の鞍部へ向かってみようか。崖の取り付きから左へどんどんトラバースするとすぐに尾根や深い谷の源頭に遮られる。無理と判断して先ほどの崖へ戻る。

最後に懸垂下降したときのザイルを残しておけばよかったと悔やむが後の祭り。どうしても登れないので下に残したザックに 6 ミリ 10 メートルをくくりつけ、反対の端を腰に巻いて空身で慎重に登る。この崖は少しずつながら水が滴っていて冬期にはアイスフォールとなる。3 月 19 日、このアイスフォールをザイルなしで下った平熊さんのことが驚きとともに思い出される。コケが生え落葉が積もっていたりして滑りやすく登攀に難儀した。

10 メートル登ってセルフビレイもろくにとれないままザックを引っ張りあげようとするが途中でひっかかって上がってこない。やむなくロープを立木にくくりつけこれを頼りに下る。登れなかったのは最初の部分だけで上方は比較的簡単なのでここからザックを担ぐことにする。何とか登り切ったものの左方向へ間違って入り込んでしまった。この先は深い谷の源頭が切れ落ちている。足元は濡れた落葉とコケである。5 メートルほど下って左上方へ登ればいいんだがここも傾斜が結構あって滑ると崖下まで落ちてしまう。慎重を期してアイゼンを取り出し無事通過。アイゼンを履いて歩いた距離は僅か 10 メーターくらいだった。

3 月 19 日に救助隊が下った小さなコルを目指す。ここは急傾斜だが木の根っこがたくさんあって割合楽に登れる。

1200 ようやく登山道へ出た(1600m) 救助隊と故わかたさんの遺体が一夜を明かした焚き火の跡である。
下り始めるがどうも足の様子がおかしい。岩場で苦労したせいか足元がおぼつかなく、険しい小普賢岳・肩の付近で何度も転倒しかけた。

1225 笙の窟(1435m) 休憩。首が痛いほど見上げれば日本岳岩壁の紅葉が美しい。

【日本岳岩壁を見上げる】

1240 発

1318 和佐又ヒュッテ着(1115m) 自販機で水分を補給して帰る準備。

1330 和佐又ヒュッテ発(142km)
1454 福住 I.C.(209km)
1558 西宮自宅(285km)
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