No.078 <久住>避難小屋で年越し


1994.12.31.Sat.曇り

1210 牧ノ戸峠 駐車場は閑散としており売店も閉まっている。ハイカーが一組のみ。聞けば久住で初日の出を迎える登山者が多く久住山避難小屋は満員だろうなどと言う。一抹の不安がよぎり、いっそ中岳麓の池ノ小屋まで行こうかと思ったが時刻も遅いし天気もよくない。

1250 牧ノ戸峠(1330m)発 舗装された階段、というよりはナメ滝のような階段道がしばらく続き早くも息が切れる。担荷は約 18 kg。夏に来たときと同じである。岩山を幾つか乗り越えると尾根道を境に左(北)は白(霧氷)、右は緑色にくっきりと分けられている。シャッターを切る。

【霧氷の尾根】

登山道は幅 2 メートルほどにロープが張られ、これは植物保護のためだそうである。

1310 沓掛山(1510m) ここからは阿蘇の全貌が望まれるそうだがガスのため何も見えない。幅の広い緩斜面をゆっくり登っていく。前方に一瞬だがガスが切れ、山が見えた。同定にはいたらず。

1345 星生山分岐(1630m) 真直ぐ避難小屋へというのも面白くないのでこの山を目指す。ガスのため山自体が見えず、そのうち急登になるはずなのに一向に高度が上がらない。左手は下り斜面である。やがて西千里浜へ戻ってしまった。ありゃりゃ、おかしいなぁ。しょうがないので元の道を行く。左手に岩柱を見ながら今トラバースしている山腹が星生山だろうか。
1416 星生山東側登り口分岐(1690m) なるほどここへ降りてくるのか。相変らずガスが酷く、視界は 50 メートルも利かない。ときおり見えるハイカーの姿と足跡を頼りに進む。
1425 久住分れ(1665m) 避難小屋をやり過ごしてしまったようである。地図によればここから小屋までの距離は 50 メートルもないので、ウロウロせずガスが薄くなるのを待つことにした。

1450 ようやく小屋を見つけた。コンクリート造りの一見「公衆便所」とも言うべき姿である。内部は入口が 4 畳敷位の土間になっており扉が無い。その内側には 12 畳位のスペースがあるが床は地面である。そして中央部に汚い破れた板が敷いてある。この上で眠ろうとはとても思わない。壁に沿ってベンチのような腰掛けが造られておりその上で眠れないこともないが何分吹きさらしなので夜はさぞかし寒いだろう。しばらく考えた末一番条件の良い入口付近にテントを張ることにした。

 歩行時間 0200
 休憩時間 0000
 合計時間 0200

16 時頃 4 人連れのパーティが現われる。「ここは満員やろうと思うたけん、法華院まで下る予定です。この時刻にこの人数(私一人)なら今夜は貸切りですな」と言い残して立ち去って行った。あまり人の多いのも困るが誰もいないというのも淋しいものである。

人の声がするので外へ出て見ると 3 人連れが小屋のそばに赤いテントを張っていた。駐車場で会ったパーティだろうか?
ガスは止まず視界は一向に利かない。冬型が強くなるという予報通り風が次第に強くなってきた。

テントを張り終え早いが夕食にする。おにぎりとインスタント味噌汁。
スリーシーズンシュラフ、インナー、シュラフカバーの三重、足元には桐灰のカイロを入れて潜り込み横になっていると突然小屋へ入ってきた若い人あり。「すんません、ここにテント張らせてもろうてよかですか?」どうぞどうぞ。しかし既に 17 時を回って辺りは薄暗い。よくもまあこんな遅くに。福岡県春日市の人だそうだ。ジーパンなんか履いているしテントも見るからにバーゲン風でシュラフは夏用だそうだ。聞けば山登りを始めたのが半年前という。低山とはいえちょっと無謀な気がする。

さらにしばらくしてかなり大勢が登ってきた。もうかなり暗い。

その中に一人私らに向かって「ここは避難小屋やけん、テントは外に張るもんでしょうが」などと説教する人がいる。ご尤もだが扉もない避難小屋の中にテントを張るくらいかまわなんだろうし私は既に動く気がなかったうえこれ以上遅くに登って来る者がいるとも考えられなかったので「もし大勢来たらそのときにテント畳みますわ」と生返事だけしておいた。春日の人は純朴な人らしく「はい、言われるとおりです」と、張りかけのテントを外に持ち出してしまった。「無理しなくていいですよ」と小声で言ったのに、出ていって強風の中四苦八苦している。

しばらくして小屋へ入ってきた別の若いのに話しかけると彼らは大分工業高校山岳部の 12 人組でさっきの説教人間は彼らの顧問教師であるこがわかった。中国の未踏峰にも登ったというベテランだそうな。

あたりはもう真っ暗である。春日の人は強風のためとうとうテントを張ることができずペグを 2 本失って帰ってきた。顧問教師はさすがに「いらんこと言うてしもうてすみません」と謝っている。
春日の人は到着から 2 時間でようやくテントを張り終わりさてこれから夕食というときになってガスコンロとガスボンベが合わないことがわかった。メニューは農協御飯にレトルトカレーだそうでお湯がなければどうしようもない。私のコンロを貸してあげることにする。友人を黒部で亡くしまだ遺体も見つかっておらずザックと靴片方だけがあがったそうで、死亡ではなく行方不明扱いなので生命保険も 7 年経たないと降りないそうだ。

1800 寝ることにする。高校生達の嬌声がときおり聞こえてうるさいので耳栓を装着する。うつらうつらと寝ているのか起きているのかわからない程度の睡眠である。

天気予報どおり西高東低の気圧配置で風がかなり強くなってきた。ゴーゴーと鳴り続けている。

夜半近く突然どやどやと大勢が小屋へ駆け込んできた。聞けば例の高校生達のテントが二つとも潰れたらしい。ビールを抱えていたので飲んでいたのかと尋ねると歯切れが悪そうに「.... 飲んでません」私のすぐ後に到着した人達の赤いテントは無事である。

少しばかり知りたいことがあったので一時間ほどして落ち着いた頃顧問の教師を呼んで事情の説明を求めた。

Q:「あんたは高山に登るベテランならなぜ潰れるようなテントを持って上がったのか。チェックはしたのか?」

A:「一つは真新しいがもう一つはやや古い。潰れるとは思わなかった。チェックはした」

Q:「天気予報で冬型が強くなることはわかっていたはず。潰れるようなテントで生徒達を引率していいのか」

A:「だからなるべく避難小屋の近くで幕営することにしている」

Q:「山岳部ともあろうものが小屋のそばでないとキャンプできないのか。(春日の人のテントを指差し)この人の装備を見てどう思うか。ベテランに見えるか。我々のような未組織素人ハイカーをあなた達のような山岳部と一緒くたに考えてもらっては迷惑である。(山岳部なら外で耐寒訓練でもやっとれ、とは言わなかった)」

A:「...決してそのようなことはない」

Q:「随分騒いでいたようやが... そこに缶ビールが一ダースほどあるが...」

A:「メンバーは OB 達がほとんどで、高校生は半数しかいない。もちろん未成年者には飲ませていない」

Q:「別に学校に連絡しようとかあなたの立場を悪くしてやろうなどとは思わないが私は山行記録を毎回つけている。パソコン通信なんてのもやっている。どこかへ公表するかもしれんよ」

とにかく弱り切った様子で少し気の毒になったのでもうやめにした。朝になってなぜか私の名前を聞いてきたので旧 FYAMA 関西支部製作の名刺に本名やら住所やらを書いて渡した。

その後もいまいちよく眠れず、ウトウトしているうちにまたまたどやどやと人が入ってきた。どうやら九州では久住で初日の出を迎えることになっているらしい。ということは、早朝組は牧ノ戸峠を 4 時には出発せねばならない。この天候でヘッドランプを着けて歩くなぞ私には考えられない。日の出は 0710 頃なので 0630 には登っていく人、登ってきた人で小屋は大混雑の様相を呈している。なかには寒さで泣いている子供もいる。6 歳の女の子であった。かわいそうに、勝手な親の犠牲 (;_;) になったのか。チョコピーとできたてのアルファ米をあげたら一口ずつだけ食べてくれた。

暗いうちから行動する気にはなれないのでアルファ米とインスタント味噌汁で朝食。ショウガ湯を飲む。
春日の人(とうとう名前を聞かずじまいだった)は「黒部で死んだ友人に久住の初日の出を見せてやるのです」と言い残しヘッドランプをつけて出ていった。本当に純朴でいい人なのだ。
1995.01.01.Sun.雪

0730 小屋発 不必要とは思ったがトレーニングも兼ねてアイゼン・ピッケルを取り出す。

ハナから方向を間違え牧ノ戸峠に向かってしまい星生崎まで来てようやく間違いに気がついた。出発前に充分マップを見て小屋から南東に向かうことを確認したはずが南西へ向かってしまったのだ。東西の取り違えであった。頭が働いていない証拠である。
気を取り直してもう一度小屋へ戻り再出発する。相変わらずガスは濃くときおり見られる人影と足跡だけが頼りである。足元は岩から小石まで様々な大きさの石が転がっていて歩きにくい。
傾斜は緩くようやく急斜面になったらまたすぐ緩斜面に戻って「お、頂上かな」と思ったらまだまだ緩斜面が続く。登路は広く道などないに等しい。後ろから吹きつける強風にメガネがすぐ凍りついて前が見えなくなる。数分おきにメガネをゴシゴシ擦り霜を落とさねばならない。ザックにぶら下げた寒暖計によれば気温はマイナス 5 ℃だが、風が強いのでもっと寒く感じる。カッパの下にはフリースを着たままである。普段はカッターの上に直接カッパを着て歩くのだが今日はフリースを着てちょうどいい。次には睫毛が凍り始めた。前が見えない。

0905 久住山(1787m) ようやく到着。積雪は数センチというより数センチの厚さに氷結しているといった方が適切か?雪らしい雪がないのは強風のせいだろう。この山は季節風をまともに受けるらしい。

【久住山】

頂上ケルンの写真を一枚撮って休憩せずに下り始める。頂上付近には大勢の登山者がたむろしていて暖かい飲み物があるからどうぞと誘ってくださるが感謝しつつも辞退して下山にかかる。相変わらず何も見えない中、吹雪かれながら人影と足跡だけを捜しつつ下る。
0935 避難小屋着 登ってくる人、下っていく人で小屋は溢れている。しばらく休憩。

【久住・避難小屋】

1000 アイゼン・ピッケルを片づけ、ストックを取り出して下山にかかる。星生山の南を巻き緩やかな尾根道を歩く。昨日歩いた道なのでもう迷うことはない。やがて両側にロープが張られた場所まで降りてきた。霧氷のトンネルを歩く。昨日の泥道は凍りついていて具合がよかったが岩場がよく滑るので困った。通過できない人がいて渋滞している。
渋滞を抜けると眼下にやまなみハイウェイが見えてきた。道路が一夜にして真っ白になっている。チェーンを巻かねばならないかなと心配するが交通量の多い部分には雪がなかった。パーキングは車で溢れている。
今日の一番の難所はここからの下りであった。ナメ滝のような舗装された階段道である。凍りついていてよく滑ること。ストックを最大限に活用して亀のように進む。

1130 牧ノ戸峠 昨日の閑散とした雰囲気が嘘のような賑わいぶりである。ハイカーばかりではなく一般観光客も多い。売店でお土産を買い荷物をトランクに放り込んでドライブの身繕いをする。フロントグラスは雪をかぶっている。

この時期にこの混雑ぶり。久住がいかに人気の高い山であるかがよくわかった。九州本土最高峰である中岳は見向きもされていない。次からは「元日の久住山」ははずすことにしよう。

 歩行時間 0335
 休憩時間 0025
 合計時間 0400

1150 (0km)帰途に就く。牧ノ戸峠から熊本側に少し行ったところに展望台があって阿蘇の涅槃像が望まれるのだが、大気の透明度が余りよくない。
1207 (12km)往路で目を付けていた黒川温泉に浸かることにした。入浴料 500 円也。足先、手先に暖かさがしみる。風呂場は暗く大きな湯船が一つだけ。脱衣場も簡素でけばけばしいところがない。
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