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No.079 <比良>堂満ルンゼ尻セード

1995.02.26.Sun.晴れのち雪・雨

0400 起床

0450 西宮発(0Km) 先月の淡路島・阪神大震災で名神高速道路の西宮球場付近が崩落しているため最寄りの西宮 I.C. は利用できない。
仁川から武庫川沿いを南下し上武庫橋を東へ渡って名神高速道路北側を東進、尼崎 I.C. から入る。早朝とはいえ、吹田から先は結構車が多い。
京都東出口から R161 バイパスを走るといつもなら山中越えの道に合流してびわ湖側へ下るはずが知らぬ間に坂本の少し手前まで信号無し走行できるようになっていた。やがて湖西道路入り口にさしかかる。朝も早いし湖西道路には入らず、R161 へ迂回する。

0600 イン谷口(95.3Km) バス停近くの橋の上に車を停める。

まだ暗い。そろそろ日の出なので明るくなってもいい頃なんだが。
東の空に細い月がおぼろに見える。天気予報では二つ玉低気圧が通過するとのことで天気は悪いだろう。吹雪かねばいいが。いまのところ風はなく間もなく明るくなってきた。

橋を渡り小さい別荘群の間を縫って登っていく。日陰に雪が残っている程度。しばらく渓流に沿って登ると池に出た。

0650 ノタノホリ(440m) 相変わらずブキミな池である。一瞥しただけで通過。

0745(730m) 疲れるなあと思ったらまだ休憩していなかった。雪も深くなってきたので小休止のついでにスパッツを着ける。さすがに 2 ヶ月のブランクは大きく疲れること!カッパの左ポケットに入れた 200 グラムのソルトピーナツを一掴み食べる。
雪面に鮮血を発見。30 センチ四方くらいに飛び散った感じ。まだ新しいようだ。数メートルおきに血痕が頂上まで続いていた。うーむ、猟師に撃たれたのか?

0755 発 高度を上げるにつれ雪は深くなっていくが充分なトレースが付いていて沈み込むこともなく歩ける。輪カンの出番はなさそうである。おそらく昨日の入山者のものだろう。ケツで下った奴がいるらしく滑り台があちこちにできあがっている。ときおりその上も歩く。

750m 付近はやや平坦になっていて正面に堂満岳のピークとその手前に小さいピークが見える。見上げれば青空が出ている。 上の方から声が聞こえる。7 人組のパーティーが下ってきた。プラブーツ、アイゼン、ピッケルの完全装備である。ザックも大きい。どこかで幕営していたのだろう。最接近時で 10メートルくらいの距離。トップがトレースを見落としたようでリーダーが「おーい、左」と声をかけている。

0840(990m 地点) もう頂上に近く、傾斜が急になりしかも雪が固くなって滑りやすいので(滑っても危険はないが)10 本爪アイゼンを着ける。トレースがなければ当然輪カンの登場であろうが... せっかく昨日(この山行のために)買ったのに使わないとは残念である。バージンスノーのラッセルトレーニング(注:ならば堂満ルンゼを登ればよい)のつもりで来たのに... けど楽である。ピラミダルなピークの最後はかなりの急傾斜であった。粉雪がちらつく。

0900 堂満岳(1057m) ここまでのコースタイムは休憩を含めて前回(一昨年の秋)と全く同じであった。トレースがなければ倍くらい?秋に登ったときにはなかった展望がある。積雪は 1.5 メートル。

5 名ほどの先着者がいた。どこかの山岳会らしい。聞いてみると堂満ルンゼというところを登ってきたそうでそこを下ると面白いよと薦められた。単独で谷、しかも下降となるとこれは不安である。しかし積雪期は崖も滝も雪に埋もれてただの斜面になっていると聞くにおよんで好奇心が沸いてきた。彼らはこれから金糞峠の近くにある第 1 ~第 3 ルンゼのうちのどれかを下降すると言って出発して行った。ふーん、そんなルートもあるのか。

今度は私と同じルートで 2 人上がってきた。記念写真を撮っているようなので私が撮りましょうということになった。なんとコンタックスの一眼レフである!初めて触るぞ。はい、撮りますよと言おうとしたらシャッターが降りてしまった。シャッターのストロークが極めて短くしかも軽い。彼らは金糞峠から青ガレを下ると言って去っていった。

次には金糞峠側から若く見積もって 65 才以上の方がストックをついてやって来た。先ほどの堂満ルンゼの話をするととても詳しく知っている。長年比良をやっておられるのだろう。「ワシも下りたいが今日はピッケルがないからなあ」とのこと。

ミカン、ビタミンサラダ、ピーナツ、かりんとうドーナツ(コープ謹製)を食べ、さてショウガ湯を作って呑もうとしたらシェラカップがない。やむなくテルモスの蓋をコップ代わりにして 2 回に分けて呑んだ。
無線機を取り出してちょっとだけ聴いてみるが比良山系で話している人は見つからなかった。
あまりにいい天気(ガスがかかり、展望はよくない)なのでさっさと下るのはもったいないし、堂満ルンゼを滑り降りるなら速かろうからゆっくりする。

1000 発 さて尻セードならカッパ下を穿いた方がいいだろうと考えたが超小型スノーボードもあるしなにより面倒なのでこのまま出発する(失敗であった)。頂上直下に群生するシャクナゲ(稲村ヶ岳周辺ほど凶悪ではない)の太い枝を分けて 20 メートルばかり下るとどーんと急斜面が見下ろされる。スノーボードなんぞ使えばどれくらいスピードが出るか分かったものではないので急遽カッパ下を穿くことにした。既に急斜面に出てしまって安定が悪いので急ごしらえの狭い雪棚の上での作業となる。スパッツの脱着をズボラしスパッツの上からカッパ下を穿いてしまった(これまた失敗であった)

足跡を頼りに下り始める。両足を少し挙げてピッケルを右側に突き刺しスピードの調節をしつつ下る。速い!二回ほどスピードが出すぎて滑落に近い状態になってしまった。二回ともピッケルが手から外れ何とか体が止まった後上から落ちてきて頭にゴン。しかしタンコブができただけで済んだのは幸いであった。一度は小さな滝をも飛び越えた。

雪が柔らかいのでアイゼンを穿いた足でもスムーズにブレーキをかけることができる。結構面白い。ズボラの天罰てきめんスパッツとカッパの間に雪が入り込んでかなわぬ。

登ってきつつある女性 2 名とすれ違う。ヘルメットをかぶっている。随分下の方では遭難者救助のトレーニングをやっていた。しばし見物。けっこう有名な場所らしい。のち聞くところによれば堂満ルンゼは冬のアルパインムードを楽しめる近畿では数少ない谷である由。

ラッセルしつつ登れば 3 時間はかかろうかという斜面を 30 分ばかりで降りてしまった。こんな面白いことは初めてである。中位の堰堤を右岸から 2 つ巻くと青ガレの少し下あたりに出、このルンゼを教えてくれたパーティーとばったり再会した。礼を言う。

正面谷を下る途中、大勢の登山者とすれ違った。まだ下るには早い時間なのだ。
1100 イン谷口(225m)着 雨が降り始めた。

歩行時間 0330
休憩時間 0110
合計時間 0440

往路と同じ道を利用して一路西宮へ。さすがにこの時間帯、名神高速道路の渋滞はない。

仁川右岸を上流に向かって走っているとき、震災で大規模に地滑りが起きた跡が正面に見えた。急に気になりだし、関学の裏に車を置いていつもムーンライトへ通う道を辿ってみた。

先月の震災で自宅マンションが半壊し、ガス・水道が出ないのは乳児を抱えた家族としては辛いので三週間ばかり大阪市内・職場近くへ「疎開」していた。その間何度か西宮を往復し自宅前の上ヶ原小学校・体育館(避難所)を薬品類を持って訪れたりもしたがその都度憂鬱になるので悲惨な現場はなるべく避けていたのである。今思えば一番酷いときに酷い場所を見て回るべきだったのだ。因みに我家の地域では 2 月初旬にライフラインが全面復旧し家族に怪我もなく(半径一キロ内で一体何人が死んだことか!)ウチは最も幸運な被災者であった。

住宅街を抜けて仁川渓谷右岸のハイク道に入ろうかとする寸前で道はなくなりその向こうは砂山と化している。コンクリートの基礎だけ残った恐らく全壊アパート跡に花束や線香・供物が供えてある。ここで数十名が亡くなったのである。合掌。
立入禁止のロープを越えて砂山に登ると遥かにムーンライト、三段岩らしいのが見えた。どうやら地滑りはムーンライトの 50 - 100 メートル下流で起こったらしい。仁川は完全に埋まっている。次に浄水場方面に回る。浄水場の建物はその下の地面が一部なくなっていて建物数メートルが崖っぷちに突き出ている。一昨年の秋に不知火さん・わかたさん達と岩登りをやって帰るときにここを通り、ムカゴを探した地面が消失している。にわかに暗い気分になって帰宅した。


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