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No.082 <六甲>ファミリーゴロゴロ岳から最高峰

1995.04.29.Sat.曇りのち雨

メンバー:つかさ(5 歳 5 ヶ月)

1035 苦楽園三番町・ゴロゴロ岳登山口発 宝塚山の会の「慎重に歩いてください」のプレートあり。これはこのあといくつも見つけた。震災後間もないことだしボランディアでやっているのだろう。

苦楽園尾根を登る。この道は中学生の頃以来 20 年以上ぶりである。さすがに何も憶えていない。山頂までの登山道には 2 ヶ所大きな岩が転がり落ちているが邪魔になるくらいのことで危険はない。急な段差ではつかさを先に行かせ後ろから足場を指示する。苦楽園尾根は終始ミツバツツジのトンネルだった。

1115 ゴロゴロ岳(565.6m) 名前の由来である標高が 565.6m の三角点は見つからなかったがあの有名な人間灯台跡があるのでそれと判る。ムセン屋がテントと大きなアンテナを 4 本建ててテントの中でごそごそやっていた。HF と 50MHz だそうな。「私もハンディ機を持ってますよ」と挨拶する。それにしてもここまで舗装道路が通じていたとは知らなんだ。(後記:ここにいたのがのちに知合いとなる JE0IUZ・水野さんであった)

1120 発 エアリアマップではよく判らなかったが目指す東お多福山が見えたのでそちらの方向へ見当をつけて歩き始める。
奥池のほとりから訳の判らぬ住宅街迷路を抜けてなじみの東お多福山登山口へ到着する。ここから土樋割まで林道が通じているが治山工事関係車以外進入禁止となっていてダンプカーがどんどん入り込んでいる。下りにこの道は利用できまい。山登りに来て車にはねられたのではお笑いである。

1200 東お多福山登山口(500m) 川を渡り登りにかかる。ところどころ急登があるが総じてなだらかな山である。頂上までに高年ハイカー 1 名、家族 4 人連れ一組、5 - 6 名くらいの中年グループ一組とすれ違う。この時刻にここを降りてきたということは朝、高座の滝を出発してロックガーデン経由と相場は決まっている。

1235 東お多福山(695m) いつもの休日はハイカーでにぎわうこの山も今日は数名。皆、今私たちが登ってきた東尾根を下っていった。
間もなく大荷物を背負いワンタッチアイゼンを装着した若い女性 2 名到着。今ごろトレーニングとは GW にアルプスへでも行くのだろう。この 2 人も天気が悪いからと言ってさっさと東尾根を下っていった。

昼食はお握り。私が 3 個食べ終わった頃つかさが 1 個食べ終わる。こやつは小食なので残り 1 個のお握りは私が食べねばなるまいと思っていたらなんともう 1 個くれだと。つかさがお握りを 2 個食べたなど前代未聞である。

1310 発 雲行きが怪しくなってきた。雨は間違いない。しかし同じ道を下るのは面白くないしかといって土樋割から林道を下るのはダンプにはねられる恐れがある。時刻も早いし最高峰を目指すことにした。一軒茶屋迄行けばあとは有馬まで下り一方なのでなんとかなるだろう。つかさが寒がるのでカッパ上のみ着せる。
土樋割まで 10 分で下り、林道を横切って蛇谷北山へのルートに入る。ここは 2 年前、3 歳のつかさを連れて入り込み大きな段差につかさが歩けずだっこして登った道である。馬酔木とミツバツツジのトンネルをくぐりながら登る。1 年ほど前から崩壊が激しかった黒岩谷側の補修工事のため迂回路ができている。これは今回の震災以前のルートであるはず。随分しっかりした階段やらが設置されていた。

1355 蛇谷北山(835m) 芦屋市の最高峰通過。一軒茶屋方面はガスが巻いている。
馬酔木が多い。コブシかタムシバかわからないが白いプロペラも沢山咲いている。足元にはスミレが。
緩やかなアップダウンののち、石の宝殿へ到着。

1415 石の宝殿(880m) チョコピーを食べる。雨がぱらついてきたのでカッパ上下を着込む。つかさにもカッパ下を着せる。
1430 発 車道へ降りすぐに側道的山道を登り降りすること 2 回、一軒茶屋近くへ出て驚いた。車道に土砂が積み上げてある。両脇に崖はないから崖崩れではないが単なる通行止めの処置にしては念が入っている。

1450 一軒茶屋(890m) 茶屋は健在であった。ハイカー客はいない。西側からはここまで車で来られるのでそのドライブ客が数名。
閑散としていて普段の休日とはまるで様子が違う。天気が悪いせいだけではない。

ホットコーヒーとサイダーを注文する。外の自販機で買えば安いのだが... ところが迂濶にもつかさが炭酸飲料を飲めないことを忘れていた。ジュースを注文し直し。残ったサイダーは私が飲む。腹がダボダボである。

カッパ下のゴムが腹を締めつけるのだろうか、つかさが「雲古!」あいにくチリ紙を忘れてきたので 50 円で購入する。道を渡ったところにある公衆便所でカッパ下を脱がせると「雲古治った!」だと。

1520 雨足は強くなるばかりでここからの最短下山路は有馬温泉へ下る道なのだがつかさに元気がなく、風邪でもひかせるとまずいので自宅に電話して車で迎えに来てくれるよう電話した。先ほど石の宝殿から車道に出たときに東側から上ってきた車を 1 台見かけたのですぐ近くまでは来られるだろう。到着まで 40 分はかかるはずなのでその間茶屋の主人と話をする。

「ここは地震の影響はいかがでしたか?一軒茶屋が壊れたと聞いていましたが無事のようですね」
「誰がそんなことを言いましたか?なんともないですよ。随分揺れましたけどね」

「登山道も随分閉鎖されたらしいですが、どんなもんでしょう」
「地震の 2 日後に警察関係が登山道の入口に片端から『立入禁止』を貼ったんですよ。実際には大した影響はなかったですよ。私もあのあと随分歩き回って調べましたがね。行政としてはとにかく何でも禁止しておけば保身になりますからね。ハイカーが怪我をすれば、処置をしなかった行政が責任を問われるでしょうから」

「ハイカー客は減ったでしょう」
「もうあがったりですわ。登山道はなんともないんですけどね。谷筋さえ避ければいいと思いますよ」

気の毒なことである。

1600 ヨメハンより連絡あり。おお、着いたか。土砂が積み上げてあってストップしているとのことなので、先ほど見かけた一軒茶屋から 100m くらい東にまで来ていると思いすぐそちらへ向かう旨連絡する。と、つかさがまた「雲古!」
公衆便所で用を済まさせ車道を東へ向かうとさきほどの土砂のところに車がない。とにかく車道を歩くと後鉢巻山の北側を巻く車道の谷側 1 車線が数メートル陥没していた。石の宝殿から茶屋へ向かうときは山道を辿ったのでこれは見なかったのだ。
10 分くらい歩いてようやくヨメハンの車に到着した。石の宝殿よりも少し西側であった。

歩行時間 0320
休憩時間 0055
合計時間 0415

ここへ来る途中に夙川の実家に寄ったヨメハンの話によるとネコのタマが老衰のためそろそろ危ないとのこと。一週間、飯を食っていないそうな。満 18 歳。人間なら幾つに相当するだろうか。


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