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No. 113 <北ア>残雪の槍ヶ岳

1997.05.03.Sat.曇りのち雨

0520 いつもの梅田発直行バスにて上高地着 登山計画書の提出を促すアナウンスがしきりに流れる。それによると連休前半に大きな事故はなかったそうで、例年に比べ随分雪が少ないとのこと。おにぎりを食べ、プリント済みの計画書を提出して出発する。

0540 発 河童橋は工事中ですぐ下流に仮橋が架けられている。岳沢から穂高連峰が良く見える。
開き切ったフキノトウや色々な植物の芽が顔を出している。

0620 明神
0700 徳沢 テントは 10 張程。山には珍しい綺麗なトイレで小用。
0750 横尾 到着寸前にがけ崩れの現場がありガレ上を歩く場所がある。要注意。
0800 発 ようやく山道らしくなりぬかるみや雪が現れるようになる。
0840 槍見河原 昨秋よりも槍ヶ岳が美しくはっきりと見える。

【槍見河原より】

0900 二の俣 釣り橋を渡る。

0930 槍沢ロッジ おにぎり食べて小休止。

ここから上は雪原だそうで「グリーンベルト(結局何のことか分からず)から上ではアイゼン・ピッケルが必要」などと貼紙がある。
今回が筆下ろしとなるカッパの下だけを着用し、ストックを取り出す。

0950 発 ちょっとした樹林帯を行くと「槍ヶ岳入り口→」とペンキで書かれた大岩があってそこを抜けると一面の雪原となる。このあたりからも穂先が見えた。槍見河原から先はかなり上まで行かねば見えないものと思い込んでいたので少々驚く。

無雪期と比較して景色が随分近くに見える。正面の東鎌尾根手前から左(西)へぐっと曲っている箇所があってなるほどあそこが大曲かと納得する。大曲までは傾斜もほとんどなく連休前半の足跡を頼りに進んで行く。踏み跡からあまり外れると壺足になる。

槍岳山荘まで延々と数十メートルおきに細い竹竿が射してある。赤い布が付いていてガスに巻かれたときの目印のようである。

1030 薄日が射してきた。暑いのでカッターを脱ぐ。顔がボロボロになっては大変と、用意してきた最強力日焼け止めクリームを特に鼻先に塗布する。僅か一時間の薄日だったがそれでも顔は焼けてしまった。

槍沢のテン場には一張のみ。うしろには槍沢ロッジのすぐ上で追い越した中年女性 2 名がいるはずだが見えない。前方にも誰もいない。雪原のど真ん中での小用は爽快である。

1120 2130m 地点 おにぎりで小休止。冷えてきたのでカッターを着る。
1130 発 徐々に傾斜が増しくたびれてくる。前方彼方にパーティが見え、後からもパーティや単独やらが見えてくるがお互い距離が随分あってうら淋しい。

【槍ヶ岳から大喰岳(左方向)への稜線】

1230 2385m地点 小休止。
1240 発 傾斜は更に増し歩幅が狭くなる。ときおり雪でノドを潤しつつ歩く。高度計を見ながら「あと100mで休憩」などと呪文を唱えつつ登る。
1320 2600m地点 露岩があって先行者が休憩していた。坊主岩小屋だろうか。雪以外のものが現れたのはここが初めてである。後から到着した人も格好の休憩場所とばかり一様に休んでいく。10名近くが一緒になったろうか?今日人と口をきいたのはここが初めてである。
見上げると肩の小屋と殺生ヒュッテが霞んで見える。穂先も見えたがすぐにガスが濃くなって見えなくなってしまった。結局槍ヶ岳を見たのはここが最後となった。

【手前の黒い塊はバテてひっくり返っている人】

1335 発 雨がぱらつき始めた。

傾斜はますますきつくなって逆ハの字あるいはつま先を蹴り込まないとずり下がる。雪は柔らかく周囲は皆アイゼン・ピッケルを持て余している様子。今日はストックの方が良い。アイゼンも必要なさそうで、もし滑り落ちてもぶつかるものはないし途中で自然に止まるような雪質だった。

殺生ヒュッテの横で休憩するつもりだったが不思議にも元気が出てきて、歩幅 30 センチくらいで登り続ける。これからさきの夏道はジグザグに付いているがこれを直登するのでかなりの傾斜になる。稜線近くまで登りきると小屋に向かってしばらくトラバースせねばならないがこれはやや怖い感じがした。左下への傾斜は階段と同程度或いはそれ以上。稜線は風が強い。穂先に取り付いている人はいない。

1530 槍岳山荘着 小屋の一階部分は埋まっている。雪の階段を下るようにして玄関へ。一泊二食付きで 8500 円也。

 歩行時間 0855
 休憩時間 0055
 合計時間 0950

靴下まで濡れていたので乾燥室に靴、靴下、スパッツをぶら下げる。しばらくの裸足もさほど気にならないくらい気温が高い。雨が降っているほどだから 5℃くらいか。それにしても換えの靴下はともかくフリースジャケットまで忘れるとは、、、

自宅と奈良のあきゆきさん宅に公衆電話から連絡を入れる。甚だ不透明な山行計画だったのでとにかく無事を伝える。その後部屋から携帯電話が使えることを確認した。
夕食の後、19 時前の天気予報を見てから(この小屋では NHK 山梨を視聴している)布団にもぐり込みすぐに寝てしまった。
風の音がビュービューと不気味である。


1997.05.04.Sun.雨のち曇り

0600 起床 良く寝たもんだ。朝食は 0630 から。
朝食後また布団にもぐり込んで様子を見ていたが天候は昨夜と変わらず、予報では午後には回復するとのことだったがセッカチな私は下界での休養と家庭を優先して下山することにした。

0800 槍岳山荘発 カッパ上下にスパッツ。ピッケルとアイゼンを取り出す。目と鼻の先の穂先がガスで見えない。

【フッドでを遮る】

ときどき尻セードを試みるが方向のコントロールが旨くいかない。登ってくる人が多いので無闇にはできない。また踏み跡上で尻セードをやるとその跡を登る人が迷惑するのでわざとルートを外すのだが、緩斜面で止まってトレースに戻る際に壺足となって難儀する。

槍沢テン場のテントは10 張程に増えていた。自分の靴(ハンワグ・フツーラアルピン)がこれほど水に弱いとは思っていなかったので当初涸沢でテント泊の予定だったのだが止めておいてよかった。乾燥室がなければ今頃どうなっていたことか。

0940 槍沢ロッジ着 到着寸前、雪上でアイゼンを外す。おかげで泥が付かず綺麗なままザックに収納することができた。小屋のひさしの下で雨を凌ぎつつアイゼン、ピッケル、ストック、オーバーミトンなどを片づける。オーバーミトンにも防水性はなく、びしょびしょ。(後記:ここでシャッターダイヤルが動いたようでこの後に撮った上高地の植物写真すべてアンダーだった)

1000 発 雨は強くなったり弱くなったり。足は既に完全にびしょ濡れなので遠慮せず水たまりの真ん中を歩く。
今日は下るだけなのでと朝食のご飯をお代わりしなかったため空腹を憶え始める。

1110 横尾 涸沢往復ハイカーとの合流地点。急に賑やかになった。横尾山荘のベンチに腰掛け行動食を食べる。
涸沢のテントは 10 張程度だそうな。昨日より今日の方がむしろハイカーが多いようである。
1125 発 がけ崩れの上を歩き、あとは気楽なもの。薄日が射してきて複雑な気分。カメラを取り出し、目立ったものを撮りつつ進む。

1210 徳沢 昨日とは比較にならないくらい人出が増えている。立派なカッパ上下を着た子供が親と一緒にテントを張ったりしている。往路と同じ清潔なトイレで小用。(1992 - 3 年頃作られたものと思う。余りに清潔なので使わねば損という気になる)

1255 明神 観光客が急増する。往路で気になっていた植物の芽などを撮る。とにかくフィルムを消化すべく努める。
1340 上高地着 観光客が非常に多い。

 歩行時間 0505
 休憩時間 0035
 合計時間 0540

毎度のことながら山の帰りはなぜか交通の接続がよい。バスは 10 分後である。臨時バスが一台出ただけで行列はなし。

新島々で電車に乗り換えるのだが、松本まで通しの切符がある(同じアルピコグループだった)のでそれを買う。2500 円。分けて買えばバス 2050 円、電車 690 円、合計 2740 円なので 240 円お得。
急いでバスに乗り狭い車内でスパッツを外しカッパを脱ぎ、窓を開けてカメラを乾かしたりする。ここで重大発見。私のカメラは絞り優先オート(Nikon FE-2)で、通常オートで撮影している。シャッターダイヤルを見てびっくり、指標が「AUTO」ではなく、隣の 1/4000 秒に合っている!!オートの解除にはロックボタンを押す必要があるのだがいったい何の拍子に押してしまったのか?とにかく少なくとも 2 本目のフィルムはほぼ絶望である。霞沢岳頂上が聳え立つ。これも撮り損ねる。
車窓からの眺めは良く、天気は快晴となった。複雑な気分というか、もはや腹立たしい。
1500 新島々着 改札開始まで 10 分ばかり行列する。

【新島々駅】

1522 発 松本電鉄の車窓から雪を被った山が見える。エアリアマップを取り出してざっと判断するに常念岳、鹿島槍、遠くには白馬岳が見えているようだ。槍・穂高の天気は今頃どうだろうか?今朝擦れ違った人達は展望を楽しんでいるだろうか?

1553 松本着 松本電鉄の切符は硬券だったので改札で無効の印を押してもらい、持ち帰る。

一旦改札を出て切符売り場に並ぶ。案の定次の列車はまもなくこの駅に到着する。少しは駅をウロウロする時間が欲しいもの。因みに 4 日、5 日の名古屋行き「しなの」はグリーン車を除いて満席の様子である。自由席特急券は自販機で買えるがこれでは新幹線接続割引きが利かない。

切符購入の行列のときに携帯電話が鳴った。自宅からの一声は「あら、繋がったわね」何の用事もないらしい。現在地と大体の帰宅時刻を伝える。

1608 松本発 しなの 24 号。駅で大急ぎで買った弁当を食べる。車内販売の放送でおいしいアイスクリームの宣伝があったので後からやってきた売り子を呼び止めると「済みません、売りきれました」はいいが、ちらと振り向いただけであとはあらぬ方向を見たまま喋るのはいただけない。まあ、見苦しい格好をしているのは自覚しておりますが...

1817 名古屋着 車内の接続列車案内では 1829 発とのことだったが、1823 発の新大阪行きひかりに間に合った。先頭車両の乗客は私一人。最後部の座席を対向にして四席を独占する。後方からやってきた売り子のお姉さんが私の姿を見るなり顔をそむけ誰もいない前方に向かって「コーヒー、ジュース、アイスクリームはいかがですか...」 うしろから「アイスクリーム下さい...」 「300円です...」 気まずいやり取りであった。まあ、見苦しい格好をしているのは自覚しておりますが...
1923 新大阪着

帰宅したらヒヨコがいた。安易なネーミングだが「ピヨ」と名づける。


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