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No.118<大峰>北部奥駈・半遭難

1997.09.21.Sun.曇り

0500 起床

0720 阿倍野橋発吉野行き急行( 0750 又は 0820 でも間に合う)橿原神宮から乗ってきた高校生の団体が騒がしい。
0850 大和上市 駅舎前はロータリー化の工事中。時間があるのでタクシー乗り場付近で座り込んでいた。ドライバーが声をかけてきて「前鬼か、あの林道は長いで。ゲートから先は半時間やし、2 万円でどうや?」あいにく財布に余裕なし。

0955 杉の湯行きバスに乗る。これに乗るのは 3 年ぶり?
1027 杉の湯着 ここで 910 円支払い小型バスに乗り継ぐ。
1040 杉の湯発 最後部に陣取ったので縦揺れが激しく気持ちが悪い。
ここから国道 169 号はどんどん高度を下げ、川の流れも逆方向になる。和佐又が分水嶺らしい。

1220 前鬼口 ようやく着いた。ここまで来るだけで随分消耗した感がある。1190 円。
バス停近くの休憩所で弁当を広げお握り 4 つにて昼食。やや蒸し暑く、ときおり陽が射す。
1245 前鬼口発 右手に池や流れを見ながら平坦な舗装道路を延々と行く。トンネルを幾つか過ぎると右手に立派な滝が見え、カメラを構える人もいる。

【滝】

1420 休憩(565m)
1430 発
1445 車止めゲート この先の林道は前鬼宿坊の私道とのこと。ここまで綺麗に舗装されておりゲート付近には車が充分駐車できるスペースがある。ゲートの手前から右に折れ、吊橋を渡ってようやく山道らしくなる。
梨の実が沢山落ちている。上で栽培しているのか、商品にするには小粒すぎるし、自生かと見回してもよくわからない。ちょっと齧ってみるが紛れもない梨である。
時折石畳の現れる道を行くとひょっこり前鬼に飛び出した。

【前鬼宿坊】

1520 前鬼 集落だとばかり思っていたら宿坊(小仲坊)一軒きりであった。

 歩行時間 0225
 休憩時間 0010
 合計時間 0235

これより上へ登る気力はなくなり母屋玄関で宿泊を願い出る。

古く味のある民家で、玄関から突き当たりが台所、左手は畳敷きの宿泊用らしいが、現在は離れに 30 畳はあろうかという大きな宿舎が新設されている。
通常の宿のように記帳などチェックインの必要はなく離れでごゆっくりと言われるばかり。

今夜は私一人なのでど真ん中に布団を敷き、濡れたシャツや靴下をハンガーに掛けて非常用のウールカッターを着る。
間もなく風呂が沸いたとのことでゆっくり浸かる。山小屋の感覚が抜けないもので風呂には驚いた。下山後ここに泊まるといいだろう。登山前の入浴はもったいない。

外でゆっくりしていると釈迦ヶ岳から降りてきた二人組に出会いしばらく話す。いましがた数人上がっていったそうで「こんな時刻に危ないなあ」とのこと。

1730 夕食。さほど運動したわけでもないがご飯とみそ汁は例によってお代りする。
また外でゆっくりしていると雨雲が低く垂れ込めてきてついにポツリときた。
1930 短波ラジオで天気予報を聞いて眠る。


1997.09.22.Mon.小雨

0500 起床 身支度を整える。
0520 朝食 やはりご飯とみそ汁をお代りする。

0630 前鬼(800m)発 小雨の中、樹林帯なのでカッパの必要もなくゆっくり登り始める。2 ヶ月ぶりなので急ぐとろくなことはない。
栃の実が沢山落ちている。沢を数度渡り高度を上げていく。

0730 休憩(1185m) ようやく主稜線が見えてきた。いかにも大峰らしい岩峰も見える。
0735 発 1200m 付近は 2.5 万図では直登になっているが実はトラバース気味で緩斜面なので稜線間近と勘違いしやすい。

0825 太古の辻(1500m) 弥山まで 20 キロとあるが、マップ上では 15 キロ程度に思える。曲がりくねっているしアップダウンもあるのでそれくらいなのか。南方面へは気の遠くなるような距離・時間が書かれた道標がある。

【道標】

0845 発 先が長いので大日岳はパスする。
0900 深仙の宿 高齢の数名が寺社の前で何かやっている。手前にはテントが 2 張り。避難小屋は 6 畳位で真ん中に囲炉裏。壁に沿ってベンチのようになっていて 4 - 6 名は泊まれそうだが寝心地は怪しい...

香精水で水を補給する。トリカブトが満開である。既にエンドウのごとく豆を付けているものもある。リンドウはまだツボミ。
いきなり法螺貝の音が聴こえてびっくり。

0905 発 ここからまた登りとなる。釈迦像が見えてきてようやく頂上。
1000 釈迦ヶ岳(1800m) 実に大きな像がある。これを担ぎ上げた話は何かの本で読んだがそれにしても...

【釈迦像】

先ほどから腹が鳴き出していたので中休止とする。ビタミンサラダ(200 KCal)ゼリードリンク(200 KCal)アーモンドチョコレート(約 210 KCal)チーズカマボコを食べる。

1035 発 降り始めてすぐ西側に谷が切れ落ちている箇所があり剱岳・早月尾根を思い出した。ピンが打ってあり問題ないがなかなかスリリングな箇所である。数百メートル高度を下げ孔雀岳へ登り返す。
3 人のパーティと出会う。「あれが釈迦ヶ岳ですかね」と聞かれる。こんなに早く一体どこから来たのか?(孔雀岳で出会ったハイカーから「彼らは弥山小屋を 0430 に出た」と聞いた)

1140 孔雀岳(1779m) 奥駈道からちょっと入ったところに山名票があって、ピークではない。よっこらしょと腰を下ろしたら立派な木の根に肛門を直撃されしばらく苦悶にのたうつ。
更に 1 名、狼平からというハイカーに出会う。苦悶の表情を必死で隠すが辛い。八経ヶ岳からここまで 5 時間かかったとのこと。弥山到着は 17 - 18 時頃になりそうだ。

1155 発 ガスのため概ね展望はなく、振り返って釈迦ヶ岳がかなり鋭いピークであることが分かるくらい。

水場を発見したので一応補給しておく。
ここから先倒木が多いが道を遮るものはおおかた切断、整備されていて障害にならない。

【奥駈道】

1250 仏生ヶ岳(1805m)のはずだが平坦なトラバースが続いてピークはなく山名表示もない。手元の高度計は 1795m を指しており、マップでは山頂の西側をトラバースするようになっているので、今歩いているのが仏生ヶ岳の頂上直下なのだろう。

1300 休憩 ビタミンサラダ(200 KCal)一箱。これはビスケットだがカロリーメートみたいに粉っぽくなくてノドをよく通り具合がよい。それにしても今日はよく腹が減る。

1315 発 今日は随分休憩が多い。トレーニング無しではやはり...
さらに高度を下げると七面山が見えてきた。一度登った山だが南から見るのは初めてで、南の絶壁には目を見張るものがある。

【七面山の絶壁】

1340 楊枝の宿 

1345 休憩
1355 発 そろそろバテ気味である。

すぐ向こうに見える楊枝の森は東側をトラバースして七面遥拝石を通過、懐かしい舟ノタワを通過するが様子が違う。前に来たときは奥駈道の東側にあったこのキャンプ適地は今はその真中を通過するようになっている。

1430 休憩 休憩が増えていく。
1440 発 もうバテバテとなる。この先は一度歩いたこともあり、弥山までまだ距離はあるがちょっと気が緩む。

奥駈道は険しい絶壁と穏やかな広い稜線の混合で広い稜線がむしろ要注意である。ボヤッとしているとしばしば道を誤るので怪しい箇所では目印を探すなど先を読まねばならない。

1500 休憩 チーズカマボコを食べる。

この先は穏やかな登りが続き、明星ヶ岳の西をトラバースすれば八経ヶ岳に到達するのだが、ついに過労のため判断力が低下したらしい。時折獣道に入り込んでは奥駈道に戻ることを繰り返していたがとうとう奥駈道が見つからない程に道を外してしまった。分からないときは元に戻れの原則もどこへやら、西へ外れたのだから東へ戻ればよかろうとするがガレ場に出てしまって、攀登ったりするがどうしても奥駈道が見つからない。
ようやく登り切ったところはどうやら主稜線を外れた尾根らしい。どちらへ向かっても岩に遮られ、展望がないので現在地の確認ができず、無闇に歩いても泥沼に入り込むばかりだろうと観念し、ザックを下ろす。

1620 火事場の馬鹿力とはこのことか、30 分毎に休んでいたのがウソのように 1 時間半近く休まず動いていたことになる。
ガスが切れて現在地が確認できたら自力で這い出そうと思ったがガスは切れず、雨が降り出した。

随分躊躇していたが、不安に耐えきれず弥山小屋へ電話を入れた。これまで確認できた情報、舟ノタワから小一時間北上、西に外れ東に攀登った。真北に八経ヶ岳が見え距離は 2 - 3 キロと思われる、八経ヶ岳からの稜線が西に続いて見える、標高 1800メートル弱、等々。
「西に外れ、東に攀登った」との記憶が不確かで、向こうにも分かりにくいらしい。当然ながら「もう暗くなるしそこを動かないように。明朝 0630 過ぎに捜しに出る」とのこと。

その後一瞬ガスが切れ、大普賢岳と七面山を確認、八経ヶ岳は真北に見え、七面山よりやや遠い。八経ヶ岳から明星ヶ岳への稜線はやはり西に見えるから稜線から東に外れたことは間違いなさそうである。
1830 行動中止 ビバークの準備にかかる。

 歩行時間 0950
 休憩時間 0210
 合計時間 1200

次に大峰に詳しいこまくささんに電話を入れるが繋がらず、2FU さんに電話してみるとすぐアチコチ手配してくれ、しかもこまくささんと一緒に今からこちらへ向かうとのこと。恐縮すると共に非常に嬉しい。

無事帰れたら隠しておくのが無難だが、正直な私は自宅にも電話を入れた。防寒具、食料などあること、怪我はないこと等伝えるが「それ、遭難じゃないの?」と不安な様子。申し訳ない。

雨が強くなってきた。カッターを着てカッパ上下も着用しシュラフカバーにもぐり込んでツェルトの中で傘をさし眠る態勢に入るが眠れず、また起き出してコンロでお湯を沸かしたりする。ヘッドランプの電池が切れかけていて心もとない。

あきゆきさん宅に電話してみたが途中で電池が切れてしまった。

ラジオの予報によると明日は少なくとも午後まで悪天のままらしい。捜索隊と会えなければ食料は明日 1 日で切れてしまう。ずうずうしい私もさすがに不安を憶え始める。また寝る態勢に入る。随分寒くなってきて 1 時間毎に目が覚める。ブルブル震えることしきり。それでもフォーストビバークにしてはよく眠れた方かもしれない。


1997.09.23.Tue.雷雨

0630 起床 小屋から電話が入る時間だったが今起きたばかり。
ようやく連絡がついて、トンネル西口で車中泊のこまくささんと 2FU さんが小屋に到着し次第小屋の西岡さんと 3 人で出発するとのこと。

0800 散らばった荷物をパッキングし、行動に備える。雨はやまず。

145.00MHz で交信しながらお互い大声で呼び合い、段々声が近くなってきた。こちらの声も向こうに聴こえるとのことでいよいよ距離は近い。
0900 とうとう声だけで通じるようになった。安堵。

東の尾根に出ていたようで、西側の岩峰の向こうから声が聴こえる。その薮を抜けると姿が見えた。ホッとした。助かった。感謝するのみ。

弥山小屋の西岡さんは荷物を持ってやると言う。大丈夫だと応えたがこまくささんに促され、荷物を預けることにした。
しばらく薮を行き、奥駈道に出て「あとは 3 人でのんびり行きます。また小屋に寄りますので先にお帰りください」ということになった。西岡さんの足が速すぎて付いて行けないのだ。
靴擦れが痛い。明星ヶ岳にさしかかり、低山徘徊派で聞いていたオオヤマレンゲを鹿の食害から守るための鉄扉を幾つか通過していく。

いきなり右手に落雷あり。

1020 八経ヶ岳(1915m) 一安心しているとまた雷鳴が聴こえた。「ここは避雷針みたいなところ」とばかりに大急ぎで逃げ出す。鞍部を経て弥山へ。

1050 弥山(1895m) 小屋の前であきゆきさんが待っていてくれた。本当に感謝!である。

小屋に入って西岡さんに改めてお礼を言い、4 人でしばらく休憩・雑談する。温泉にでも寄って行こうということになった。
1100 弥山発 急坂を下る途中 2FU さんが「ここからなら携帯電話が使えますよ」とのことで、自宅に電話した。随分安堵した様子であった。すまぬ。一晩でやや回復したニッカドはしかしすぐに切れた。

1150 聖宝の宿 休憩。
1200 発 ちょっとした坂を上りまた下る。
1225 弁天の森
1230 発
1250 奥駈出合 ここからトンネル西口への下山路が北へ延びている。「PLUTO さん、今日は山上ヶ岳までやったな(笑)」悪い冗談が飛び出す。
1255 発 なかなかの急坂で滑りやすく難儀な道であるが短い。
1330 トンネル西口 ふーーーぅ。このあたり標高 1000m 程だが昨日歩いた 1700m 付近の稜線とあまり気温が変わらない気がする。寒冷前線でも通過したのか。

 歩行時間 0350
 休憩時間 0040
 合計時間 0430

カッパやら片づけてタオル 1 枚。2FU さんの車に乗せてもらう。
行者還トンネルを東へ抜けて天瀬から R169 を南下、上北山温泉に浸かる。500 円。
R169 を北上し帰途に就く。寝込んでしまう。

反省点など
0. 人様に多大なる迷惑をおかけした。
1. 二ヶ月のブランクで長距離を歩いたことは何度か経験があったが、今回は更に不摂生が加わっていた。
2. トレーニングのつもりで大峰を選んだのはヤマを甘く見たと責められてもやむを得ない。この山脈の難しさは充分知っている。
3. 食料が中途半端だった。今少し多量にあれば気分的に余裕が出たと思う。
4. 遭難箇所が運悪く 2.5 万図 2 枚の境目にあたっていた。コンパスは腕時計にくっつける簡易版しか持たなかった。
5. 現在地を同定する能力に欠けている。
6. 携帯電話、アマチュアハンディ機がなければ自力脱出に相当時間を食われたろうと思われる。
7. 単独行は危険。(分かってはいるけれど...)
8. 意気地がなかった。待てば必ず何とかなったはずで今回の救助依頼は安易であった


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