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No.104 <北ア>西穂高岳から奥穂高岳


1996.08.13.Tue.曇り

2130 梅田発・上高地行き直行バス。今夜出るバスは 3 台だそうでこりゃまた随分少ない。


1996.08.14.Wed.曇りのち暴風雨

0520 上高地着
0600 上高地バスターミナル発 梓川左岸に沿って焼岳方面へ。田代橋を渡ると焼岳、西穂高岳方面を示す道標がある。

0620 西穂高岳登山口 腐りかけた道標「天狗のコルの避難小屋は壊れて使えません」。樹林帯を登り始める。14 キロの担荷が随分重く感じられる。25 年ぶりのこのルート、さすがに何も憶えていない。随分急傾斜である。やがて道がヤブっぽくなり時折階段やはっきりした地面が見えるのだがまたすぐヤブになってしまう。新穂高ロープウェイで登るのが主流になってしまってこの道はいずれ廃道かなどと考えこんでしまう。

0640 暑くなってウールカッターを脱ぐ。ときおりパラパラと雨の音がする。

突然立派な登山道に合流した。立て札があって上から見て右上高地とある (・_・?)。2 名休憩していたので尋ねてみたらその道が正しいルートであってその人達も私と同じ登山口から入ったとのこと。すると私が道を逸れてここで元に戻ったということになる。初っ端からルートミスである。

0800 宝水 水場のはずだが流れがみつからない。

0840 2155m 地点 ひと休み。おにぎり 1 つ。

0845 発 傾斜がなだらかになって舟窪地形と地図にあるあたりか。

0920 西穂山荘(2385m)着 山荘横のお花畑が美しい。

 歩行時間 0315
 休憩時間 0005
 合計時間 0320

西穂山荘横のお花畑

紫色が私のテント

売店で早速テン場申込み。500 円。25 年前の記憶は既にない。

建物は 2 つに分かれていて一方は寝る所、他方は売店・食堂となっている。こちらは無料休憩所で持ち込んだ材料で料理などしても構わない。屋外のトイレは比較的清潔でロールペーパーまで用意されていたには驚いた。売店のアルバイトの態度といい全体に親切な山荘である。印象良好。テン場は 20 張位いけそうである。ロープウェイがあるせいだろうが家族連れが目立つ。

0955 テントを張り終わってのんびりしていると 5 名くらいのパーティが騒がしく「どこまで行けたんかなあ」などと言っているのを聞きつけ話に加わる。彼らはテントを畳んで 0500 にここを出て西穂高岳を越え次のピーク(赤岩岳?)を越える辺りで天候不良を理由に引き返してきたとのこと。5 時間で西穂高岳の少し先までピストンできることが判った。話によると軽装単独の女性が 1 名奥穂高岳へ向かったらしい。大丈夫か?今夜は台風が接近する。13 時過ぎ頃から風が強くなってきた。

15 時頃新穂高ロープウェイの運行休止と上高地・釜トンネル付近の通行止めが放送される。テント泊のハイカーに対しては売店棟の扉を開放しておくから非常時には使ってよいとのこと。いよいよ来たか台風 12 号。雨も降り出した。そういえば昨年 9 月に私の邪魔をしたのも 12 号であった。

α山菜おこわとワカメスープの夕食。まだ明るいうちからシュラフに潜り込む。

夜半風の音に目覚める。テントが大揺れである。明け方あまりに強烈な風に又目覚める。急降下している手元の気圧計指標はそろそろ底を打っている様子で今が最接近の時刻なのだろう。フライシートの張り綱が外れているらしくテント本体とフライが密着している。

首筋が冷たいのでランプを付けてびっくり。浸水である。水深約 1 センチ。油断して荷物は全部リュックから出してそこいらに放り出していたので全部水浸しになった。食料の収まりをよくするための段ボール箱は既に崩れた。枕代わりの着替えはしっかり収納袋の紐を引き締めておいたので中身は無事だった。
風は絶えず吹いているのではなく遠くからゴーという音が近づくのがわかりやがてテントが大揺れする。側面の生地が顔に張り付くほどである。テントから出れば恐らくテントは飛んでいくだろうと思われたのでずっとテントの生地を押さえて明け方を待った。


1996.08.15.Thu.雨

0800 気圧計の表示はようやく上向きに転じた。しかし雨は止まず。シュラフに潜り込んだまま寝たり起きたりを繰り返していたがいい加減起きることにして行動食の乾パンとゼリードリンクで遅い朝食を済ませる。10 時半頃テントから出た。ペグが 1 本抜けていた。回収。フライの張り綱 4 本は全部外れていた。まずはテントの張り直しである。テントの数は 2 つ減っていた。壊れたらしい。

テントの中の退屈

無料休憩所へ行くとテントから早々にこちらへ避難してきたという人がいてしばらく話す。山荘も大揺れだったそうな。今日一日は行動できないからと山荘泊に切り替えたとのこと。私はしぶとくテント連泊手続き。500 円。

気を取り直して便所の雑巾を借りテント内に溜まった水を大半外へ出す。宿泊客のふりをして荷物を全部乾燥室へ。これで随分助かった。雨が止まないのでこれ以上濡れたら困る靴と靴下は乾燥状態を確保するため裸足になり山荘の草履を借りる。

1430 昨夜の残りα米と吸物で昼食。雨はまだ止まない。

1500 新穂高ロープウェイと上高地周辺の道路規正解除の放送あり。

1830 山荘へ入ると連泊を余儀なくされたハイカーで溢れている。入口正面が食堂でちょうど夕食時だったせいもあろう。玄関のテレビで天気予報を見、明日は晴れそうだと確認してテントへ戻る。乾燥室の荷物もテントに戻し住環境は床が泥だらけなのを除けば随分マシになった。銀マットがないので直接土の上にいるような気分。

1900 α米と吸物で夕食後寝る態勢にはいるが今日 1 日動かなかったのでなかなか眠れない。おまけに隣のテントのやかましいこと。間もなく寝入ったがまだ喋り続けている隣の声で目覚め、21 時から24 時まで起きていた。


1996.08.16.Fri.晴れ

0340 起床

0410 昨夕の残りで朝食。ガスが巻いているが青空も時折覗いている。今日は大丈夫だろう。

0450 テント撤収 どろどろで水浸しの汚いテントを収納袋に押し込む。

0500 西穂山荘発(2385m) 非常に寒いので合羽上下を着込む。風は飛騨側から冷たいのがビュービュー吹いてくる。緩やかな道を登る。時折ガスが消え富士山など見える。カメラを取り出してガスの切れ間から撮る。

独標手前で小 5 の男の子が達者そうなお母さんから叱咤されつつくたびれた様子で登っている。追い越したところでルートを誤る。白ペンキの×印が消えかかっていたのだ。先を覗くと道幅約 20 センチ下は垂直の断崖。古い記憶ではアルプス入門の山だと思っていたがここは子連れでくるところではない。

0555 独標(2700m) ピーク手前に黒大理石(?)の遭難碑がある。1968 年だったか松本深志高校の生徒 15 名ほどが落雷で亡くなった場所である。合掌。
0600 発 独標手前辺りから岩稜の連続となる。これから通るピラミッドピークが本峰のように聳える。小さいピークを幾つか越えて、、、

0620 ピラミッドピーク 文字どおりの美しい山である。
0625 発 ひたすらペンキマークを辿り、小さなピークをまた幾つも越えて、、、

0705 西穂高岳(2909m) ここまで来てはじめて槍ヶ岳が見える。ガスも消えて展望良好。これから向かう方向を見てピークの同定を行う。間ノ岳は西穂高岳とほぼ同じ高さだがその手前に少し低いピークがある。赤岩岳である。赤岩岳、間ノ岳、天狗岳とほぼ同じ高さの山が 3 つ続き天狗のコルに一旦下ったらそこから先はジャンダルムまで一気登りになる。各ピークのコルはほとんどがキレットである。

この先行動食(明治のチーズスティックとゼリードリンク)をたびたび口に入れることになる。水もなるべく多めに飲む。1 日で 1500cc くらい飲んだだろうか。

0720 発 奥穂高岳へ向かうパーティが幾つかあって「さて気合を入れて、、、」などと言っている。これらパーティとは勿論競争意識などないが途中何度も抜きつ抜かれつで進むことになる。約 5 名の若い連中がスタートした後間もなく私もスタートする。少し下って信州側に回り込んで驚いた。空気が全然違う。冷たく乾燥した飛騨側の風とは対照的に生ぬるく湿っていてメガネが曇るほどである。

0800 2890mピーク 山名表示がないが赤岩岳であろう。浮き石だらけのいやらしい山である。昨秋重太郎新道の登り途中に赤茶けた不気味な山が見えたのは多分これだろう。ここだったかよく憶えていないが信州側に鎖が 2 本かかった垂直に近い長い下りがある。さてここらで、と途中から鎖を離れ飛騨側へトラバースするとどうも様子がおかしい。ルートがない。上から声がかかりその鎖を全部下り切れとの指示。鎖まで戻り一番下まで。後述するがこの約半時間後この付近で女性が 1 名転落死したらしい。(翌 9 月の山行の折に場所を特定した)

0815 2845mピーク 日射しも強くなったので合羽を脱ぐ。それでも飛騨側に回ると急に冷たい風が吹くので寒く感じる。

0825 間ノ岳(2907m) 先ほどのピークに山名表示がなかったのでここが赤岩岳だろうと思っていたら岩に白ペンキで「間の岳」と書いてあった。結構いいペースで来ているなあと思い少し気が緩む。休憩も長くなる。展望は良好。時折飛騨側からガスが巻き上げてくる。
0840 発 この辺りガイドブックには浮き石が多く危険とあるがそれほど感じない。逆にいえば他の場所ではスタンスがよりしっかりしているということになる。慎重に歩を運び間天のコルへ下る。

0900 間天のコル(2830m) ここから天狗岳へは逆層スラブの登りである。畳くらいの一枚岩を階段状に重ねて下へ傾斜させたような感じ。雨の日は登り辛いと思う。長い鎖に掴まり靴底のフリクションを充分に利かせて一気に登って行く。危険箇所ではない。
0920 天狗岳(2905m)

マップには天狗の頭とある。ピークの表示は天狗岳である。ここの下りが危ないらしいがそのあとはジャンダルムまで一気に登りその後は平坦な僅か 300m の短路で終わりだと安心する(大きな間違いであった)。くたびれてきて休憩時間も長くなる。

ここで追いついてきた人から遭難の話を聞く。8 時 40 分頃、鎖が 2 本かかった箇所で女性が 1 名落ちた。多分鎖にぶら下がっていて足を踏み外し両手も離れたんだろうというその人の推測だった。

0945 発 手を使わずとも歩ける道を下っていくとやがて鎖場になる。ガイドブックには「垂直の鎖場」とあるのでここが一番の難関かと思っていたのだがたかだか 10 メートル程度のもので拍子抜けした。ただ最下部の数メートルが崩壊してオーバーハングになっている。

1000 天狗のコル(2835m) あっけなく天狗のコルに着いた。岳沢ヒュッテへの道標もあったが面倒で覗きに行かなかった。唯一のエスケープルートだが急なガレで雪渓が遅くまで残り稜線よりむしろ危険だという意見もある。
ここから先は 500 メートルの水平距離で 300 メートルの高度を稼ぐという急傾斜「コブ尾根」である。スタンスはしっかりしており道幅も広く危険はない。ペンキマークを外しても少々登りにくくなるだけである。高度計の指標は 3000m を越えた。

1050 コブ尾根の頭(3020m) 登り切って目を凝らすとガスの中に大きな饅頭のようなものが見える。あれがジャンダルムらしい。ガスが切れた瞬間を捕らえてそばにいた人とカメラを交換してお互いの写真を撮る。

1140 ジャンダルム(3163m) もう奥穂高岳とほぼ同じ高さまで来ている。大いに気が緩むがよくよく前を見るとどうも様子がおかしい。ルートがない (・_・?) すぐ向こうにやや低い急峻なピークがあって(ロバの耳)そのピークの随分下の方にハイカーの姿がある。そこがルートらしい。あんな所まで下らねばならんのか。その先が登りのナイフリッジ・白ペンキで「ウマノセ」と書いてある。どう見ても奥穂高岳への道は平坦ではない。マップ上での水平距離は僅か 300 メートルなのだが。疲れもあるし油断はならじとゆっくり休憩する。

1210 発 半分も下って信州側の巻道を進む。トラバースしながらどんどん高度を下げていく。50 メートルも下がったところで今度はまた岩登り。鎖もかかっている。ペンキマークに従って登り終えたら又急な下り。

ロバの耳のトラバース

ロバの耳の飛騨側を水平に巻く道が怖い。道幅は 50 センチ程度。下は垂直に切れ落ちている。岩には鎖が水平に付いている。これと岩を掴みながらへっぴり腰でゆっくり進んでいく。冷汗を拭って少し休む。おや、こんなところに綺麗な花が!

次はウマノセである。道幅は約 1 メートル。ゴツゴツしたしかししっかりしたホールドのあるナイフリッジである。両側の傾斜は約 50 - 60 度程度だが落ちれば停まるところがない。特に上高地側は平たい岩盤でさぞかし下まで落ちるだろうと思われる。なるべく足許だけ見て岩をしっかり掴みつつ進む。間もなくナイフリッジは終了しガレた斜面を少し登ればようやく奥穂高岳。

1340 奥穂高岳(3190m) やっと着いた。こんなきついルートは初めてだった。もう一度来ようとは思わない。逆はどうか?ナイフリッジが下りになるのが怖そう。

少し前にここへ登ったテラさんが私宛に残してくれているはずのお土産を探す。まずは前穂高岳向きへ数メートル。すぐに発見。(^^)/ ところがもう 1 つがなかなか見つからない。かなりへたばっているので諦めることにする。1 つだけでも見つかって非常に嬉しかった。名刺大の厚いアルミ板。なによりのお土産。
1355 発

1425 穂高岳山荘(3000m) 西穂山荘からここまで 9 時間 25 分かかっている。ほぼガイドブックどおり。

人の多いこと!小屋の中を偵察するが受付には行列ができている。昨年 9 月には受付のおねえさんが客引きじみた事をやっていたのと対照的である。

腹具合がおかしい。軽い吐き気もする。どうもおかしい。トイレに行くがなんの成果もない。今度は頭痛がしてきた。ボルタレンを 2 錠服用する。足の裏も異常に痛むし明日槍ヶ岳へなんて考えは簡単にどこかへいってしまった。今回はこれで終わりにしよう。

テン場は既に満杯の様子だったので泊まり慣れた涸沢へ下ることにした。

1510 発 ザイテングラートをのんびり下る。足の裏が痛い。右足にプチッという音がした。マメでも潰れたか。登ってくる人はまだまだいる。
ザイテンを終えて石畳を下る途中同じ稜線を歩いた人と会い西穂高岳付近での遭難の話をまた聞く。西穂山荘では朝食が 5 時のため早い人でも私より 30 分遅く出発しており遭難者もその一団に含まれていたらしい。聞けば長い鎖が 2 本ある場所の少し西穂高岳寄りのトラバースから信州側へ落ちたという。

1645 涸沢小屋 例によって500 円のソフトクリームを食べる。腹具合がおかしいせいかあまりうまくなかった。

 歩行時間 0910
 休憩時間 0235
 合計時間 1145

涸沢ヒュッテに向かう石畳を歩き適当な場所を見つけたのでザックを降ろしテントをいい加減に張ってカメラとポリタンだけ持って涸沢ヒュッテへ。まともなおかずを食べたくておでんを注文する。ほとんど売りきれていて残っているこんにゃく、大根、生煮えのジャガイモだけで我慢する。出汁も薄かったがそれでも下界の食い物にありつけて嬉しい。自販機でコーヒーを買いポリタンに水を詰めてからテントの受付を済ませテントに戻る。ここは水が自由に使えるのがいい。顔を洗ったのは 4 日ぶり。

腹具合がいよいよおかしくまたトイレへ向かうとなんとまあ下痢であった。

涸沢ヒュッテの三和土で「西穂高岳が」「遭難が」という会話が聞こえてきたので話に加わった。今度の話は真実味があった。「2 本の長い鎖の箇所を下り切った辺りで後方からドーンという大きな音が聞こえたのでそちらを見ると人が落ちていくところだった。雪渓の上端付近で止まった。そこまで降りて行ったら『痛い痛い』と繰り返すばかりで恐らく意識はほとんどなかったんじゃないか。40 メートルザイルが届かない辺りだったので落下距離は 50 メートル程度だろう。シュラフに入れてあげあとはその人のパーティに任せてここまで来た。多分ダメだろう」とのことだった。やりきれない話である。「お疲れさまでした」と言ってテントへ引き返す。

長野市出身・西宮在住の無線仲間である関学生 JE0IUZ が帰省しているとのことで、無線交信してみようかと事前に相談していたので西穂山荘、奥穂高岳山頂とここからも呼ぶが答えず。美ヶ原にいるはずのぶたぬきファミリーの面々ともコンタクトできずじまいだった。私の無線呼びかけを聞きつけた隣のテントの主が開局半年余りという 7K4OMR で無線をやりにわざわざここまで来たという。明日北穂高岳の頂上から交信すると言っていた。

夜中に又腹具合がおかしくなってトイレへ。トイレまで 200 メートルくらい痛い足で歩かねばならないのが辛い。また下痢。
副産物は満天の星。素晴らしい。ペルセウス群もまだ活動しているらしく流星が幾つも見えた。1 つは北極星を貫いたマイナス等級のものだった。満足して寝る。


1996.08.17.Sat.晴れ

ゆっくりするつもりだったが周りが騒がしく 5 時起床。吊尾根が赤く染まって美しい。α米を片づけ残った吸物、ワカメスープ、葛湯も全部片づけると腹がダボダボになった。

モルゲンロート

やがて陽が射してきたのでテントを乾かす。パッキングも済ませ今日はもうあの食い飽きた行動食は食べたくないのでザックの奥にしまい込んだ。
テラスで吊尾根を眺めながら缶コーヒーを飲んでから下山にかかる。

0740 涸沢発 足の裏が痛いので早く歩けない。そのうち追いついてきた 1 名が追い越して行くでもなく似たようなペースなので俄パーティとなり馬鹿話をしつつ歩く。横尾から上高地の単調ルートは一人では苦痛なので助かった。
道は随分荒れていて本谷橋直上には新しいルートができていた。0817に 7K4OMR の CQ が聴こえてきた。涸沢からなら交信可能だがこの谷間から 280mW の私の電波は届かなかった。

0850 本谷橋着 昨秋迄は確かに鉄製だった橋が木製に替っている。「一人ずつ渡ってください」などとある。あれが流されたのか!
0900 発 ここから下はゴロゴロ石も少なく楽になる。横尾の端も修繕した後があって同様に「一ぺんに大勢で渡るな」とある。これも流されたのか?
1010 横尾着 水分補給。280円。
1015 発
1110 徳沢着 随分腹が減ったので食堂に入りメニューを見る。おでん定食(笑)を注文する。1000 円。満足。
1135 発
1230 明神 観光客が増えてきた。
1320 上高地バスターミナル着 随分時間がかかってしまった。

 歩行時間 0500
 休憩時間 0040
 合計時間 0540

河童橋を過ぎた辺りで行列ができている。案の定バス待ちだった。もっと進むと別の行列があった。こちらはタクシー待ちらしい。こちらの方が行列が短いのでタクシー待ちの列であることを確認してから並ぶことにした。俄相棒は沢渡に車を停めているという。

1440 行列すること 1 時間 20 分。ようやくタクシーに夫婦連れと相乗りで乗車。沢渡へ。俄相棒は新島々まで送ってやるというので好意を受けた。

帰宅して靴下を脱ぐとマメだらけ。数個ナイフで切る。左小趾が倍くらいに腫れている。これもマメであった。底の固い靴にすべきだった。

ベランダを見てびっくり。植木鉢全部どころか天体望遠鏡まで転倒していた。暗いものでしっかりとは調べなかったが赤道儀は前回の地震のときと似た壊れ方をしているようで、おまけにガラスの破片が見つかった(〇o〇;)。シュミカセの補正盤が割れた(;_;)らしい。あの鏡筒は既に生産中止である。主鏡くらい残して捨てるしかない。


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